こんばんは、お久しぶりですー。Genさんいつぞやかはすみませんでした(><;)blog再開されたのですね。頑張ってください☆☆☆
それとすみません、心理のことでちょっと個人的に相談したいことがあるのですが、もしよかったら相談にのってくれると嬉しいです。
ではでは。お目汚しすみませんでした(汗
沙誉さん、コメントありがとうございます。
相談に乗れる範囲ならば、応じることができるかもしれません。一度メールをください。
ありがとう。
メールしました。
こんにちわ。
Genさんが感情論を語る意義「面白い」ってのは同感で、興味深く読ませていただきました。
感情→学習→推論の入れ子型3重円について気になることがあったもので書かせていただきます。
この一連の流れで、「遺伝的に備わった初期感情から始まり、外側が内側を規定する」というのは納得できたんですけど、逆に「内側が外側を規定する」って事はありませんか?
例えば、「道行く人と無理やりセックスする」という命題について。遺伝的に備わった初期感情からすれば、「セックスしたい」のであって、学習→推論としていくうちに「道行く人と無理やりセックスはしない」となっていきますよね?でも、私達の現在の常識的な感覚では「道行く人と無理やりセックスはしたくない」んだと思います。
この例で言うと、他者との関係という環境(社会)において初めて生ずる感情があるのでは?と思いました。つまり、学習(もしくは推論)→感情という流れが存在するのであって、外側が内側を規定するという定義だけでは不十分なのではないかと。
もし内側が外側を規定することがあるとして、それによって生じる感情を「2次的感情」とするならば、感情・学習・推論すべてが「多次的に形成されていく」ことになります。読んでいて、「感情 vs 理性」の構図は、「遺伝的に備わった初期感情 vs 多次的に形成した感情・学習・推論」なのかなーと思ったのですがいかがなものでしょうか?
長くなってしまった上に、例が下品で申し訳ないです。負担になってしまってもイヤなので、サクッと簡単にお答えいただけたら幸いです。
ついでにちょっとした疑問なんですが、こういう話はオリジナルなんですかね?それとも今まで得た知識の総括なんでしょうか?
タモさんのページからみうらじゅん〜リリーと遍歴。笑い転げて肝心の感情論まで道草してました。
感情、センティメント、この2語の間にもちょっとしたずれがあると思うのですが、少なくとも私の中では「感情」という言葉を使うときにちょっと警戒します。というのは昔、若かりし詩人、萩原朔太郎と室生犀星が「あまり感情感情言うな」と文壇から怒られたのに反発し同人誌『感情』を出した、といういきさつを読んだことがあるからです。以来、私なりに『感情』とは何なのかそれが海のようなものならばもうすこし深いところまでアンコウのように降りていってみようと・・
表面的には知覚されるものに対する反応の推移。どうして私は反応するのか、つたない経験のなかでの手探りのあて推量ですが・・・どうやら私は「自分を残したがっているらしい」前にgenさんに頂いたコメントのなかにもありましたよね、と同時に「消したがってもいるらしい」無意識のうちに・・。破滅への衝動も確かに存在するわけです。この生と死への相反する衝動からぽろっとこぼれたホウセンカのタネみたいな・・それが感情と私が呼んでいるものかと思います。
genさんにとっての感情のディフィニションを教えていただけるとより浸透圧高く読ませていただけると思いました。
cvさん、コメントありがとうございます。テスト期間ということもあり、10日以上も返信が遅れてしまい、どうもすみませんでした。
>感情→学習→推論の入れ子型3重円について気になることがあったもので書かせていただきます。
>この一連の流れで、「遺伝的に備わった初期感情から始まり、外側が内側を規定する」というのは納得できたんですけど、逆に「内側が外側を規定する」って事はありませんか?
もちろんあります。学習された概念にしたがって人間は世界を認識するので。
>例えば、「道行く人と無理やりセックスする」という命題について。
>遺伝的に備わった初期感情からすれば、「セックスしたい」のであって、学習→推論としていくうちに「道行く人と無理やりセックスはしない」となっていきますよね?
>でも、私達の現在の常識的な感覚では「道行く人と無理やりセックスはしたくない」んだと思います。
感情的には「だれとでもセックスしたくない」というのがデフォルトだと思います。遺伝的には「生存・繁殖上最も有利になるように」感情機構がセットされています。セックスはたしかに快感をもたらしますが、無理矢理されても気持ち良くない(=感情)ことからわかるように、相手を選ぶようにできています。
参考:http://d.hatena.ne.jp/Gen/20041223#p5
>この例で言うと、他者との関係という環境(社会)において初めて生ずる感情があるのでは?と思いました。
>つまり、学習(もしくは推論)→感情という流れが存在するのであって、外側が内側を規定するという定義だけでは不十分なのではないかと。
それは「感情」と呼ぶべきものですか?むしろ学習によって、ある思考(行動パターン)と感情が結びついたものだと考えられませんか?あらたな「感情が生まれる」という必然性は無いと思うのですが。
>もし内側が外側を規定することがあるとして、それによって生じる感情を「2次的感情」とするならば、感情・学習・推論すべてが「多次的に形成されていく」ことになります。
>読んでいて、「感情 vs 理性」の構図は、「遺伝的に備わった初期感情 vs 多次的に形成した感情・学習・推論」なのかなーと思ったのですがいかがなものでしょうか?
まず、感情がなければ、この世の中に「意味」は存在しません。感情と出来事が結びついて、意味のある概念・推論パターン・行動パターンが生じてくる。それらを論理的操作することは可能です。これを理性と呼ぶならば、「感情に支えられた形で理性がある」というイメージだとわたしは考えています。cvさんのおっしゃる「多次的に形成した感情・学習・推論」というのも、このイメージと近似しているのではないかと思います。ただし、厳密に論じるならば、まず「理性」という語を定義せねばなりません。また時間を作って行ってみたいと思います。
このレスがcvさんの意図するところを取り違えてないと良いのですが‥
>ついでにちょっとした疑問なんですが、こういう話はオリジナルなんですかね?
>それとも今まで得た知識の総括なんでしょうか?
オリジナルの知識も所々加えていますが、基本的に今回はhttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/482224203X/
をベースにして書いています。個人的に非常に納得がいったので。ただし、この本に書かれていることもあくまで一仮説です。但し書きを書くのをつい忘れてしまいましたが。社会心理学者には猛否定される考えだとも思います。進化心理学自体、かなりcontroversialです。感情と進化に関する文献を現在色々とあたっています。もう少し広い(フェアな)見方を提供したいと思っています。
葵さん、コメントありがとうございます。
遅くなってしまいすみません。
>破滅への衝動も確かに存在するわけです。この生と死への相反する衝動からぽろっとこぼれたホウセンカのタネみたいな・・それが感情と私が呼んでいるものかと思います。
>genさんにとっての感情のディフィニションを教えていただけるとより浸透圧高く読ませていただけると思いました。
たしかに自分自身も破滅の衝動を抱えていると感じるのですが、進化的に考える場合は、「破滅への衝動」を理論化することはできません。なぜなら、そのような衝動を持った個体は現在残存していないはずなので。
また、「感情」もあえて科学的に狭く定義する必要があると思います。いったんドライに考えた後に、そこから想像力と思索を練り込むのが良いのではないかと。感情の定義については、次回「感情の進化論」を書くさいに、はっきりさせてみようと思います。
投稿者 Gen : February 9, 2005 03:18 AMどうもこんにちわ。
返信ありがとうございます。
セックスの例はまずかったですね。勉強不足ですいません。
>それは「感情」と呼ぶべきものですか?むしろ学習によって、ある思考(行動パターン)と感情が結びついたものだと考えられませんか?あらたな「感情が生まれる」という必然性は無いと思うのですが。
そうですね。結局は「感情」の定義の問題だと思います。私のイメージでは「感情」=「分析や計算なしの自動的な応答」というものだったのですが、感情と学習・推論が結びついたものが自動的に応答できるとしたらそれで問題ないと思います。
>「感情に支えられた形で理性がある」というイメージ
>「多次的に形成した感情・学習・推論」というのも、このイメージと近似している
これもそのとおりだと思います。進化の過程で形成された「感情」が、ヒトの一生の範囲で進化(もしくは変化)したものが「理性」なんだと考えています。厳密な定義が必要ですけどね。
このシリーズは終わったと思ったのですが、まだ続くんですね。楽しみです。それまでは元ネタ読んで勉強してみようと思います。お忙しい中どうもでした。