コメント: 原因追及のスペクトラム――言葉足らずだったので

はっきり言って、罵声を浴びせるシーンは見るに忍びないゆえ、チャンネルを切り替えている。
被害者の家族と、我々遇有性でのみ共感を得ることが可能なものたちとの決定的な違いが、乗り越えがたい境界を生み出す。そういったシーンを平気で見るためには、私から、感情の涙の最後の一滴まで奪いつくすか、それとも、私を、涙の海の底に沈めてしまうかのどちらかを選ばねばならないだろう。。。そんなことを考えさせるような気持ち(不快な気持ち)になってしまうのは、当たり前のような気がする。
また、その場を調停できるだけの「知」があれば、テレビという参入不可能な媒体に対して「苛立ち」を覚えるだけであろう。。。
「罵声を浴びせるシーンです」にて、チャンネルを切り替えるか、電源を落とすしか、それ以外、私にはとりうる手段を持ち得ない。
(そういう観点でも、Genさんの視点は非常に妥当だと思います)

投稿者 きすぎじねん : May 2, 2005 10:50 PM

まず、グラデーションなるものの考え方を提示していただいて、すっきりしました。ありがとうございます。自分が色んな視点をごちゃ混ぜにしていたことを自覚しました。
『「社会的・文化的要因」を考えるに至っては、わたし自身を事故原因と切り離すことができなくなる。つまり、JRだけの問題ではなくて、わたし自身の生き方も含めた問題になる』という部分とグラデーションの考え方をあわせて、遺族・被害者の方とそうでない方を分離するのには納得しました。

その上で、第一弾を読んだ時に感じた事を再度考えてみました。それは、腑に落ちないところというか、違和感なのですが、一面的なマスコミの報道を考えるとGenさんの言う「社会的・文化的要因」を考えることって一般的に無理に等しいのではないか??という何か諦めのような感じの感覚だと思います。一方、そのように考える人が多いと仮定すればこそ、Genさんの展開する論は意味を持つのかも知らないとも同時に思います。

投稿者 tomato-lover : May 4, 2005 12:06 PM

>きすぎさん

状況はますますひどくなってきていますね。社員の休日の過ごし方をバッシングすることにメディア資源を用いるなんてバカも甚だしい。愚の骨頂です。ようやくメディア側から自戒の声が出てきたみたいですが。(「罵倒だけ…恥ずかしい」 「客観報道」へ自戒
http://www.sankei.co.jp/news/morning/07na1003.htm
 ) 立ち位置に敏感な産経新聞らしい身のこなし方です。

『その場を調停できるだけの「知」』、これをはたして誰が公的に担えるのか、と考えてしまいますね。本来はメディアの社説がその役を果たすべきなのでしょうが、全く機能していない。

投稿者 Gen : May 8, 2005 12:57 AM

>tomato-loverさん

>一面的なマスコミの報道を考えるとGenさんの言う「社会的・文化的要因」を考えることって一般的に無理に等しいのではないか??
>という何か諦めのような感じの感覚だと思います。

たとえばニューヨークタイムズか何かが「時間厳守への過剰な欲求が事故の背景にあった」なんて指摘してましたよね。まぁ部分的な指摘ですが。

たしかに、「一般的に無理に等しいのではないか」という指摘には同意します。事故再発防止するには、即効性・実効性の観点から、とりあえず対症療法を考えないといけない。それがATSの早期導入であったりダイヤ改訂であったりJR西日本の人事更迭であったり云々です。

けれども、「社会的・文化的要因」を含めないと、わたしたち自身から切り離されてやおらJR西日本を悪者を仕立て上げるだけの感情論になってしまいやすい。昨今のJR西日本への馬鹿げたバッシングみたく。あれが許されるのは遺族だけです。

そしてなによりも、リスクとベネフィットはトレードオフ関係にあります。これを自覚していない人が多すぎる。そこらへんの議論はもう少しなされても良いのではないか、と考えます。でも、誰が「社会的・文化的要因」を議論し政策に反映するのか、と問われれば、しばし沈黙してしまうのも間違いないです。

投稿者 Gen : May 8, 2005 01:10 AM
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