Essay about the movies T  「キアロスタミが拡げるもの」

Written in 11/2000 (When I was in highschool)





 キアロスタミは優しい。しかし、その優しさは、ハリウッドの、例えば大ヒットを記録した「タイタニック」の様な、少々押しつけがましいものとは違う。なにか、こう、とても静かに、そっと、ぬくもりの様な深い世界を、ただそこに提示して見せるのだ。それは、キアロスタミが使う俳優が、一般に名が売れていないからだけではない。キアロスタミ自身の、世界観の鋭さ、まなざしの深さ、卓越した業の深さゆえに、私達は、まるで依存症であるかのように、何本も監督の作品を求めてしまうのだ。キアロスタミは、感動させようという露骨な意図を見せない。その代わりに、すごくシンプルに、しかし深淵に、人間が持っているやさしさを描く。人間は、きっとこうなんだ、こういう包容力があるんだ、と嬉しくなってしまう。キアロスタミの描く風景や人々の暖かさが、少々の憂いとともに、耐えがたく魅力的なのは、きっと、このような、彼の映画を見て漠然とだけれどもつかめる、幸福感のようなもののためなのだろう。

 そしてまた、キアロスタミが紡ぎ出す映像は、懐かしい。日本人にとって、すごく懐かしい。皆が持っている、昔の、幼い頃の、なにか心地良い体験を、切なくなるような経験を、直接的な映像としてではなく、感覚として、つまり空気のような雰囲気として、提示して見せるのだ。では、なぜ彼の映像は懐かしいのか。日本とイランが風土的に似ていることも一因だろう。お互いに農村の存在する風土である。自然の営みが、人間の心に模写される。つまり、自然の尊厳、暖かさ、慈しみ、恐ろしさ、包容力を、そのまま人間が受け取り、地域社会に反映させていくのが、農村の風土であると思う。その意味で、日本人とイラン人は、どこか通底していると思えてならない。今はなき黒澤明監督も、キアロスタミの作品を愛していたという。

 比較的最近のものとして、具体的に「クローズアップ」という作品を取り上げてみたい。この中では、なんといっても、サブジアンという主人公が切ない。なぜだろう。一般に人は、他人の、内的な、その人特有の精神的な事情など、あまり気にしない。常識からはずれた行動は、奇妙なものとして、嘲笑され、排除されてしまう。しかし、一見おかしく見える行動でも、その裏には、どうしようもなくかなしい、その行動をする人が背負った、切り傷のような影があるのだろう。そして、もし私達が、その「切り傷」を知ってしまったならば、その奇妙な行動は、とめどなく切ないものとなるのだ。

 さらに具体的に考えて、サブジアンにとっての「切り傷」は何だろう。映画に対するどうしようもない憧れがあるのに、それを実現するすべがないという現実、つまり、自分の芸術世界に浸りたいのに、現実的なその日暮らしのために働かねばならないということ、これが「ナイフ」にあたるだろう。そして彼は、現実の彼自身に、アイデンティティを感じ得なかった。自分が自分であること、生きているという感覚、そう言ったものをつかむためにこそ、彼は、彼自身の全てをかけて、詐欺を働いたのだろう。そして私は、どうしようもなく切なかった。そして、ふと感じた。もしかしたら、これはキアロスタミ自身の自伝なのではないか、と。彼が詐欺をしたという記録はない。しかし、彼も、精神的に追い詰められ、そのどん底から回復した経験をもっているのだろう。そしてその経験の強烈さに突き動かされ、この映画を撮ったのではないかと思うのだ。

 サブジアン、彼が刑務所から出てきた時、あこがれの監督にきしめられる。言葉にならない、その瞬間、一瞬だけれども、非常にゆっくりと流れてゆく。そして、その後のキアロスタミの演出。見ている側としては、どうしても語って欲しい、サブジアンと監督のセリフを、あえて、コードの接続ミスという形で、見ている側に考えさせるように演出した。あるいは、キアロスタミ自身が言葉にしたくなかったのかもしれない。どんな言葉を使ったとしても、見ている側の心に湧きあがった、とめどない感情に勝ることはできない。ならば、言葉でその感情を固定化してしまうよりは、雰囲気としてのみ提示して、観客の豊かな想いを喚起したい。キアロスタミは、そう考えたはずだ。サブジアンにとっての監督は、抱いてくれる人、そのまま、体全体で受け止めてくれる人であった。サブジアンの今まで抱えていた想い、つらさ、それを、今まで唯一信じていた人、つまり監督が、受け止めてくれた。それで、もうそれだけで、ほんとうに、十分だったのだ。

 締めとして、私が映画に求めるものを考えてみたい。ただの快楽ではない。より深いものだ。それは、なんといっても映画が私の中に喚起してくれる感情である。それは、私自身のかけがえのないもので、心を柔らかく拡げてくれる。そして、その積み重ねで、私自身が、粘り強く自分を探していける。そしてその点にこそ、キアロスタミの作品を私が愛する理由がある。

 



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