March 27, 2004

戻ってくる語り

★何かを思い、何かを語る。それはあくまで自分の意見である。他者に強制はできない。でも自分の信念に基づいて「それは違う」と思った場合、どうすればいいのか。どうしようもないこの感情、正当性。とりあえず自分が存在を賭けるならば行動に移すべき。でもその行動とは何か?書くこと?語ること?説得すること?社会運動を行うこと?あらゆる情報は所詮他者から伝え聞いたものであり、本当のところはわからない。その上でなにを語りうるのか?どう行動しうるのか?

自分に直接かかわらない問題にまったく無関心を装うのは何か違う。でも、そもそもこれほど難しいのに、いったいどうしうるのだろう?とりあえずは広く関心を持っておくしかないのだろうか。

★最終的には「私は‥」という形でしか語りえない。でもただ単に自分が思うということではなく、もっと普遍性を含んだところの「私は‥」に最終的には回帰してくる。それはただ単に「結局は自分のことしか語り得ないから自分のことだけ語ればよい」という態度とは異なり、質の異なった「私は‥」の語りだ。とりあえずはこの方向性を目指すしかない。

★とにかく言葉の背後に存在するものの重みが感じられるかどうか。これに話し手が放つ言葉の「強度」が大きくかかわってくる。たとえ学者を目指すとしても、絶対にこれを忘れないこと。この「強度」を意識し生きてゆき、その地平に立っていること。

★文章のおいしいところだけの抜粋をもとに語るのではなく、比喩的にいえば、一冊の「ボリュームとして」語ること。これが欠けている。

投稿者 gen : March 27, 2004 06:21 AM | トラックバック
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