April 09, 2004

memo2

35 :32 :02/12/03 07:26
>>33
研究方法の違いは古くて新しい大きな問題だから、ここでは避けます。
研究者の交流について。
大昔は強くリンクしていたし、それなりにお互い意識していた。
それこそ、柳田の書生だった岡政雄(都立大の社会人類学の祖)が柳田から放逐されたり、石田英一郎(東大・文化人類学の祖)の民俗学批判に反応しない民俗学徒に失望して柳田が民俗学研究所を店じまいしたり、結構意識してたんだな。
お互い。喧嘩するほど仲が良かったんだ。
1980年代くらいまでは、文化人類学の方でも、結構、民俗学に関心持つ人がいた。構造論の隆盛期、山口昌男や宮田登は連んで面白いことやってたよ。
人類学者じゃないけど若き日の中沢新一なんかも民俗学の解題本の編者になっている。
現代思想なんかでも人類学と民俗学がそろって取り上げられていたね。
でも90年代に入って、両者は疎遠になった。
というか、人類学はポストモダン状況で学問の大転回を余儀なくされて、一方、民俗学はなぜかしら安穏としていたものだから、自然と乖離していったのね。
どっちが良い悪いじゃないけれど、どっちともお互いに感心を失ってきた。
悪く言えば、もう人類学はほとんど民俗学に見向きもしない。民俗学もそれを必要としない。
昔は、民俗学VS文化人類学という構図もありだったんだけど、いまでは喧嘩するほど向き合ってないのです。
いま、アクティブに両方の学界で活躍し、認知している人ってあまりいないね。
他学界で一目置かれている民俗学者は、宮田登亡き後、福田アジオくらいかな。
彼ならば、歴史学界には学問的影響力を持っているし、人類学界でもそれなりの知名度を持つ。
人類学者では伊東亜人か渡辺欣雄くらいかな。民俗学に理解を示すのは。
若手には頑張っている人もいないことはないけど、おおむね50歳以上は民俗学に内向しています。
良質な若手に期待!といったところでしょうか。

36 :天之御名無主 :02/12/09 16:42
素人考えですが…
文化人類学は、自然科学的に対照をもって、論考に実証性がある
民俗学は収集に重きを置き、必ずしも実証性を重視しない

そんな印象があります。学生のころはそれで民俗学をバカにしていた(今
思えば愚かな)けれど、近ごろは民俗学の本や拾遺集が好みです。


37 :天之御名無主 :02/12/09 20:41
>>36
>文化人類学は、自然科学的に対照をもって、論考に実証性がある
>民俗学は収集に重きを置き、必ずしも実証性を重視しない
文化人類学が実証性があるか分かりませんが・・・民俗学が実証性、あるいは再検証性に非常に欠けるのは事実です。
近代的科学性とは相容れない論著や、論者が多く見受けられます。
私は民俗学の研究者ですが、それを認めるしかありません。でも、それが民俗学のいいあり方であるとは決して思われません。
もっと、実証性を重視すべきだと思います。
ただ、その「実証性」も認識論的には、完璧な実証があり得ないことくらいは人文科学をやる人間ならば知っておかねばならないでしょう。
認識主体の認識の枠組みや、その主体のおかれた時代的制約には大きな限界があることに注意を要します。
だから一見実証的に見える文化人類学も、その実証性の枠組み自体を調べ上げる必要があるのです。
でも、やっぱり実証性は民俗学において、もっと素朴でいいから!単純で良いから!追及されるべきものだと思います。

投稿者 gen : April 9, 2004 09:54 AM | トラックバック
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