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2003.6/15「閉塞した恋人関係とランディ」
今一押しのコンテンツ、インド旅記。 特に第5章は、読み返して、暖かい気持ちと汗が蒸し返した。 心理学実験をきっかけに、 1週間前から:マウスと付き合っている。 実験室での、毎日1時間ほどのデート。 その部屋は地下にある。 窓がひとつもない、閉ざされた空間。 癒しと欝、紙一重のひとときを味わいながら。 これから、1ヵ月‥ ケータイカメラを片手にヤツを追う。 はしゃぐ、撮る、喜ぶ。 親バカ?ハンディーカム・パパ? これからも親バカ日記を、綴ろう。 ところで、久々に凄い知的興奮を味わう機会がありました。 倫理学の授業なんだけど、月1くらいで開かれて、毎回講師が変わる。 5限に講義があった後、6限はそれをもとにした討論。 有名どころでは、猪瀬直樹・鷲田清一などが講義しに来る。 生徒も20人ぐらいの小さな教室での授業なんだけれど、 シンポジウムに参加しているメンツが凄い。 内山節などの哲学者、宗教学畑の人、 そしてなぜか、かの有名なコラムニスト(小説家?)、田口ランディ。 彼女のメルマガは身体的な感性に溢れていたので、 一時期、愛読していた。 インターネットで爆発的な人気が出て、世に名をはせた、彼女。 まさか彼女にこんなところで、 しかもこんな身近な形で出会うとは予想だにしていなかった。 斜め前に座るランディをまじまじと観察。 うーん、メモ魔。 (もっとも盗作女王としての悪評が存在するのも確かだが) それにしても、学問畑の人々と、ランディみたいな感覚派コラムニストの、 東大の授業という場での語りあい/混じりあいは、 脳を揺さぶる。新鮮。 しかもごく少人数の授業なのに。 なぜ彼女がいるのかはわからないが、 これはなにやら面白いことになりそうだ。 ネット上での彼女の悪評の真偽を確かめる意味でも。 ちなみに先週は、「地球学的人間論」というタイトルで、 天文学者の松井孝典さんが、 宇宙的な視点から現代の人間を語りなおす必要性を説いていた。 これ自体もexitingだったのだが、詳細については、 またちょくちょく紹介しますね。
2003.5/30「夏草とともに」
蝉がながい地下生活の後に突然鳴き出すように 何かが自分を突き動かした。ふたたび、表現しようかなと思いまして。 早くも大学3回生になりました。 偉そうなコトばっか言って、相変わらずハッタリかまして生きてます。 あまりに久々なんで、リニューアル後の更新状況をまとめます。 1.レイアウトが一新☆ 2.映画レヴューを大幅追加!(Movieのコーナー)書評もけっこう追加☆(Booksのコーナー) 3.宗教とアイデンティティ・臨床心理学についての文章を新たに追加☆(Universityのページ) 4.けっこう濃い大学受験情報をアップ☆(Examinationページ) 5.高校時代に書いた小説・旅行記・独白などを整理・再アップ☆(Seaのページ) そして‥ 6.インド独り旅の旅行記を一挙にアップ☆(Indiaのページ) 少しでも通ずるところがあると思ったら、 軽く一声かけてやってくださいね。 #↓久々に読み返したら、当時の恋愛が目の前を横切って、少し立ちくらみした。
2001.10/17「rhythm」
リズムが刻まれる。 その上にメロディが流れる。 耳に焼きつく。 ちょっぴり変わった、だけど規則的なリズム。 それに心を預ける。それの上に横になる。 その場所から、メロディに心を合わせる。 だから心地よい。 リズムの力。 それのおかげで、メロディの色合いがぱっと変わる。 1を5へと拡げる力。 その上にあるものを、彩る、力。 心に焼きつく。 ちょっぴり変わった、だけど規則的なリズム。 それに心を預ける。それの上に横になる。 その場所から、世界に踏み出してみる。 だから心地よい。 リズムの力。 それのおかげで、世界の色合いがぱっと変わる。 1を5へと拡げる力。 その上にある私を、彩る、力。 それは、なに? だれ? 胸の中で、リズム。 いつもありがとね。
2001.10/16「recollection」
季節が回転している。 ふと感じた空気の凛。 心は、あっ、と反応する。 思い出すのはあの場所。 クリスマスの頃。 空気は緊張し、イルミネーションが切実に訴えかけてくる。 その神々しい光全部に裏切られて、 ひとり歩いて、手をすりあわせた。 たしかに、あの場所。 今年はあたたかく通りを抜けられるかな。 今年はあたたかく待ち合わせ場所にただずめるかな。 ね、と訴えかけてみるよ。 ちょっぴりにやつきながら。 ね。
2001.10/14「あの人のらせん」
イケてる・イケてないのセレクション。 自分の中でね。相手を。 意識してかせずか、 でも確実に行ってる。 センス悪いやつはいやだし、 一緒にいるのもできればいや。 心の奥のほうで、少し、いやかなり、そう思ってる。 あの人はいつも気づかせてくれるけど。 それは結構もったいないな、って。 あの人があまりにもイケてて、 でも誰にでも価値を見出して、 いろいろなことをらせん状に吸収していくから。 俺もそのらせんに吸収されていく中で、あの人を見てた。 あの人の深さは、底なし沼のようだった。 一番恐ろしいのはあの人なんだ。 あの人は、ものの掴みかたを知ってる。 その態度の違いは、自分を照らす鏡。 あの人の自分に対する自信は、ジョンソンクルー。 俺はちっぽけで息が上がっちまって。 鏡を曇らせて。 いつかさ。 遺伝子のような深遠な、 あの「らせん」を、 俺も自分の中に持つことができるのかな。
2001.3/01「sorry so...」
すいません。 やはり、試験に向けて集中するため、3月の13日までお休みさせてください。 どうしても、、、
2001.2/26「自分で歩く街並み」
最近授業は無いのになにかと高校に通うことが多い。(卒業に向けて困難な課題を 解消する必要があって←追試) 太陽がかなり自己主張し始めた、午前10時過ぎに校門をくぐる。 静寂の支配。 当然、イトシイ後輩達は普通に教室で授業を受けてるわけで。 ただ薄青い空と、木と、テカテカしてる車と、なんとなく空ろな雰囲気が、自分の周りを取 り囲んでいる。 あえて言えば、マッタリした感じかな。 そういう時、ふと立ち止まって、そこら辺に適当に座って。 時間が止まっているようなリッチな感覚に、ニヤリとする。 普段の生活パターンから抜け出し、ゆっくりと行動してみること。 まわりの環境の流れに沿って歩んでいるのではなく、 自分自身が、回りの環境の中を、踏みしめながら歩いているような気になる。 すると、すごく満足な気持ちになる。 こういう感覚抱いたことのある人、結構いると思う。 遅刻したときも、同様の感覚を抱く。 そういえば、一番静かな時間帯は、 深夜ではなく午前10時ごろだ、と言った小説家がいたけれど。 だから遅刻を止められない。 なんて、言い訳。
2001.2/26「トリアエズのマッタリ」
慶應SFC合格。祝。 「合格」は保険じゃあないけれど、とりあえずほっとした。 それが正直な、全ての実感。 心に区切りがついたというか。 確実に今春の4月で、今の自分の置かれた状態から変化するから。 明らかな変化を迎える春の前って、少しだけドキドキするよね。 そして、今の生活が妙に懐かしいものに思われ、 ふと意識した瞬間瞬間が、切なく感じられたりする。 失うってわかったものは、その瞬間から特別なものになる。 ナニワともあれ、生活のコペルニクス的転回が保障されたことが、 不確かな安堵へとつながりつつある。 まだ試験はあるのに。
2001.2/25「消極的な幸福論」
小論文で読んだ資料からヒトコト。 ショーペンハウエル曰く、 この世の中には、<不幸でないという幸せ>しかないらしい。 つまり、<欠如>(何かしらの不満)からの解放が幸福。 その意味で、人は決して幸福な状態を維持することが出来ない。 <欠如>を満たしたという実感が終わったら、幸福感は消えてしまうから。 後から振り返ってはじめて(<欠如>した状態から満ち足りていた状態を振り返って)、 幸せだったと感じることが出来る。(親が生きてるうちに親孝行を・・・) あるいは、 <欠如>した状態を解消して(望むものを手に入れて)幸せを味わったのもつかの間、 ヒトはまた<欠如>を見出し、苦しむ。(スノボ手に入れた→ブーツ欲しい→旅行代欲しい ) その意味で、 幸せになりたい! という欲求の強いヒトほど苦しむことになるという。 言われてみればあたりまえの事。 筑紫哲也の「幸福論」に幸せへのヒントがあるわけでもなく、 自分の<欠如>を満たせば、瞬間として幸福になる。 考えてみる。確かにそうだ。 気に入らないヘアスタイル・ファッション*トモダチ・コイビト。 いろんなことを<欠如>(満ち足りない状態)だと考える。 それは、それを解消すれば「幸福」が手に入ると、 潜在意識下で期待しているからなのかもしれない。(幻でも) But。そうしたら、ずっとシアワセといたちごっこかもね。 #読み返しみて あたりまえすぎる論だな。(当たり前の事を意識的に再確認するのも効果的だろうけど) ショーペンハウエルという素材を活かしきれない 自分の力不足に、悔しため息。
2001.2/24「冬春」
冬は過ぎてゆく。ほとんど春。 吹く風が、どこか凛としていなくて、けだるいから。 実は、そのことに文句を言いたくなるんだけれど。 春といえば、変化。桜の花びらのように、いろんな人がいろんなところへ舞ってゆく。 その時が、一番美しく、そして切ないのかもしれない。
2001.2/23「日記再開へのお詫び」
HPの日記だけでも再開しようと思った。 それが出来るだけの状況になったと思った。 まだ3月13日に東大文三後期試験を控えているけれど、それでも日記をはじめようと思っ た。 ずいぶんと長い間、ネットの世界から足を洗っていた。良くも悪くも、自由だった。 意外に読者が集まったメールマガジンはいつのまにか<廃刊>されてるし、 読者だった人には、感謝の意と、お詫びを申し上げます。 心から。 SFC の合格発表を26日に控えて。何とか受かりそうなんだけれど。 T大が本命だって言い聞かせているのに。テンションがあがらない。 たいしてお勉強に励めない。 怖いね自分、uncontrolable。 こんなときは、自習室に行って、 まわりの環境から自分をインスパイアーするのがいいんだろうけど それすら面倒臭くて、 <自己嫌悪>だなんて言ってる自分に吐き気。
5/15「ヒトが死んで考えるけれど、そして」
ヒトの死を見て、何かいつ
も必ず思うけど、
大切なのは、
そのとき思うだけじゃなくて、
半年後、一
年後にまだその気持ちがあるか、ってこと。
人間って、良くも悪くも、すぐ忘れち
ゃう。
そこが好きでもあるけれど。
5/12「kiss」
肌と肌で、
触れて、
感じ取る。
誤解なんか、いらない。
口が、あまり
にも、時に、回りすぎて、
お互い見えなくなっているんだよ。
自分の気持ちを
コントロールできない、
ダイレクトな、スキンシップ。
何か言う前に。口を閉
じて。
そして。
5/11「自己の限界の虚像」
できるとおもったらできるしね。
できないとおもったらできない。
あたりまえなん
だけど、ホントにそんな気がする。
限界を自分で決めれるほど、テメエは偉くない
ってさ。
世界史の授業、資料集に独り落ちてたら、見つけたナポレオンの名言。
「余の一番の誇りは、30もの戦いの勝利ではなく、ナポレオン法典である」
民主化を成し遂げたことに、一番の誇りを持っていたんだね。
しかも、捕らえられて、島流しになった後の発言というから、
せつない。
このヒトって、知れば知るほどなんかせつないよ。
5/9「俺的なポジション」
自分より「カッコイイ」(キレイな)ヒトばっかの集団には
なぜか近づきにくくて、
無意識のうちに避けてない?
そのくせ、自分より「した」の集団の中では、変
に自己顕示したり。
気取ってみたり。
めちゃ滑稽じゃん、そんなの。やめなよ。
永遠に「そのレベル」だよ。
でも、知らず知らずのうちに、
自分もそうactしてた。ような気がする。
それが
怖いんだよね。
5/8「客を持つ店員」
4/14に書いたバイト先のオンナのコ。の話。
バイトには受験の関係でそれほど入ってなくて、
気が付くと彼女は人気者になってた。
野球部から工事現場のおっちゃんまで。
なんか、そんなの見ると、
じぶんが彼女と仲良くなった客をさばくのも悪い気がして、
「お待ちのお客様どうぞ」
て声かけにくかったりして、
すこしはがゆかったり。
でも、なぜか爽快なバイトだった。今日。
もうすぐ夏だね。
5/7「梅雨になりつつ」
ゴロゴロ踊り響く雷をBGMに、スーパードライで小トリップ。ベランダで、ひとり。
こんな時間を、大事にしたい。
もうすぐ梅雨で、今のうちに上向いて、
呼吸しておこう。
みずいろの空気を。
5/6「照れ」
コンドームを買う時の、ためらいが少なくなるのって、どのポイントだろ。
ふと考えた。
5/5「謙虚な一年」
今日、18歳。
苦節18年、こんなにも幸せなガキがまだ生き延びております。
無知の知、
なんていうけど、どれほど、
自分が無知なことを知るのが難しいことか
。
謙虚、
それは本当に崇高な事のような気がする。
少年の、18の、抱負。
4/17「職業柄ですから」
美容院で、カット。伸ばすか切るかの、葛藤。
「カリスマ」なサロン、ふかふかのソファで待たされるも、
あれほど居心地の悪いソファは初めてだ。
見るからにナル男、うようよ。その振り向き方が、とてもいとおしい。
何気に鏡で自分の顔を見てる。ぷぷ、いとおしいカリスマ候補生君たち。
いつも、切り終わったあと、気に入らない。帰り道は、いつも憂鬱。
ナル男君が、あまりに真剣に眉カットを薦めてくるので、
あまりにしんけんに整髪料について語るので、
毎日こんなことばっか考えてるのかな?とふと思考。
「カリスマ美容師」になるのは、大変そうなようです。
そしてもしかして、この批判は、
俺が自分のなるから目をそらすため?
4/16「猫と犬」
メールマガジンとやらを執筆。
今日はもう言葉が枯れた。
shitな嫉妬、とはテクニシャンな言葉遊び。さすがです。
テレビを傍観。思わぬCMに出くわす。得した気分。
「キャバレー、キャバレーキャッツ、
キャバレーキャッツへどうぞおこしください。ニ
ャ〜オ〜ン」
ナレーション調から突然の高音域に、どう対応していいのか戸惑う。
直後、爆笑。
そういえばこの前見た映画、ストレイトストーリー。
表情だけでクライマックスを作れる職人たち。
ホレました。
4/15「自分に巻くもの」
相手にされないってつらい。
振り向かせたくて、ソトミを努力。
光るように。
カラダに包装紙を巻きすぎた。
ヒンシュク。
逆にいま、包装紙を無視。変な優越感。
オレは包装を気にしないオトコだ。って。
届かないプレゼント。
クラフト紙程度は必要なこと。痛感。
4/14「そのままで、笑顔」
バイト先のオンナのコが、まぶしい。
環境は、自分で造り出せる。笑顔は、桜の花びらを舞わせる。
かざらないこと。そのままに笑うこと。
悔しい。
4/13「板」
ワルイことでも、人に知られなければいい。そんなこともあるのかもしれない。
欲望の奴隷。
レイノモノを手に入れた。
雪原を、かけめぐれるレイノモノ。
正
義感の弱さに、刺す釘がない。
けどこぼれる笑み。喝!
4/12「自己正当化」
試験の前の高揚感。情けない自分への無力感。
そんなこんなで、家を飛び出した。
桜に透かした星がきれい。
4/11「オンナは顔次第のウソホント」
オンナは顔か?
オトコは、顔を通してオンナのココロを見る。
顔は、プロポーションと共に、
ココロが表現されるフィルター。
けど、ココロの
まぶしさに、
顔が見えなくなっちゃうこともある。
4/10「あっ*」
香水は怖い。すれ違った時、胸がドキドキした。
4/9「写真を見て」
オレが恋した人たちへ。
素直に、イイカレシと付き合っててくれたらいいと、
ふと
考える。
ただのロマンチスト。
4/8「なる?」
カミガタに時間をかけすぎた。
家を出、ふと自分に嫌悪感。
待ち合わせに、定
刻おうばあ。
ものすごい嫌悪感。
「マックで許して」
自分のみみっちさ。
嫌悪塊。
3/12「コムロとMAX松浦はGLAYのジャンボ機に乗る」
テストの谷間の休日
。ベンキョーせずの今テスト期間、その最終日、最後のテストが終わりそうな、時計を見たらアト1分。
まわりがそわそわ、誰かが「まーえーて」と叫ぶ。テスト終了。でもって、友達と笑顔にな
っても、そこにカイホウカンは薄く、ちょっとしらける、自分。勉強したテストの後は、カ
イホウカンに満ちてた。これは、いえる。帰りの通学路を歩くと、なんか太陽マブシカッタ
り。古今、カイホウカンないなぁ。こうは頭で思っても、ココロがついていかないこのココ
ロ苦しさ。多分コレは、自分に課せられたノルマをこなすときに、共通してる心的態度とそ
の結果。
3/11「へとへと」
とにかく、MUSIC/MOVIE/BOOKSのコーナーへいってみてくれ
。これから充実していく、リキサク。いや、疲れた。
3/10「スノボなおのぼりさん」
今日バイトの給料日なんだよね。だけど、取
りにいけない、自分。なーんでこんなにギクシャクしながらやらなくちゃいけんの?サイア
クな店長、これからも体に気をつけて。ちなみに、先月3人やめたよね。俺も、いくから、
まっててね。今日はまだテスト、てすとです。帰り際、キースジャレットのピアノを聴いて
いたわけですよ、私は。そしたら、なんかただの坂道が、すごくイタリアっぽく(白壁、白
い階段が続いていく、横から明るい日差しが差し込む)イメージだったわけ。こういうこと
、あるから、音楽はイイネ。ケシキヲカエウルオンガク。ココロと少し、共鳴しあったのか
な。自分の世界作る音、これから探していきたいな、なんて。ふと思ったけど、田中麗奈→
ロングっぽい髪形になってた。こんだけで、少しオトナに見えるから、髪型って怖い。でも
、ショートにして垢抜けるコもいるしね。むしろショート好き。そういやあFineモデルの一
場ちあき、かわいー。水着姿が○。バイト中に、立ち読み。こんなだから、ファミマの店長
とは、今日もいがみ合い。
何でスノボやるかって、少しわかった。やってるとき、空があおいから。たいていは。雲が 、透明なフィルターみたい。すーって通り抜け。足つって転んでむかついて上見てそんな空 じゃ、またスノボ、ってなるのもわかる。でも多分俺と一部人の話。かも。
3/9「地下鉄サリン事件に、母は遭遇したそうな」
なんか、せつないよね。列
車、いや、地下鉄の事故。マスコミのあおり方、悲しみのあおり方は、超娯楽大作「タイタ
ニック」、と通ずるものがあって、シラケたけれど。自分が死んでたら、笑えないし、やじ
れないよ。やじらないか。でも、マスコミのは、やじ、っぽかった、ぞ。
2000.3/8「幸せな食卓。」
ジャズピアニスト、キースジャレットのピアノソロ。切なくなる。キーボー
ドを打ち付け、それでいて、さらさらおかゆな質感を保つ旋律に名付けられた名は「
hourglass」、時のガラス瓶、つまり砂時計のこと。小学校埋めてきた恋心?ってか、もっと
まじめなお話で。父親が脳の大手術を試みたのがもうどれぐらい前?8月10日だから、十
日だから、約半年前。彼は手術後言っていた。思っていた。「手術前のようには体は動かな
いし、思ったこともしゃべれない。が、時の経過に体は癒され、回復し、元の生活のように
戻るはずだ」と。しかし半年経ち、頭打ちの回復度。もちろんかなり良くなったものの、以
前の状態の7割。最近苦悩する親父の顔に、それを見た俺は、自分の内面に向かって→。内
側に向かう思考。どんどんくる、落ちていく。思えば、今でも、そんな父を、とっても大切
には扱えない自分がいて、つい自己欲に走っちゃう自分がいて、「はしんなー」って呼びか
けるけど、苦しむけど、選挙カーの自民党議員の演説並に耳傾けない自分がいるんだよね。
ちょっと自腹で「ロウジンリョク」なる本、はずかしながら、買った。プレゼントに。彼に 。いいんだよー、って言いたかった。砂時計なんだよって、病気も何もかも、これ読んでる 人だって砂時計なんだよ、って。落ちてってるよ、一定じゃないけど、君がほよほよ、って 揺らすから。時が流れてく。そして、変わっていくよ。受け入れてゆくよ。親父、だから手術で以前ほどしゃべれなくても手が動かなくても、それは老い だと思えばいいんだよ。誰しもそこまで、死にたくなるほど、追い詰められきって缶詰みた く凝縮されて、「苦悩の真空パック」状態な人はいないよね。長持ちするよー、なんて。親 父、ちょっと違う考え方もあるってわかってほしいな、なんて。でも、結局、ほらこんなに 甘えてる、自分がいやだ。こんなでいいと思ってるかもしれない俺の本心、わからへん。そ ろそろ映画見ようかな、やさしさのキアロスタミ。まだまだテスト。朝っぱらから日差しの まぶしさで頭が痛くなるまで。