India (3)  

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  目が覚めると都会の喧騒が在った。ゆっくりと身支度をし、強い陽射しの下に出る。今から振り返ると、この日一日はオート・リクシャー(タクシーのバイク版)の運転手にしてやられた気がする。私は、ガイドブックを念入りに読んで綿密に計画を立ててから観光をするタイプの人間ではない。適当に、気が向いたところに行く種の観光客だ。だから、オートの運転手に「〜(お店であったり美術館であったり)があるんだけど寄っていかないか?」と言われると、ついつい「いいな」と思ってしまうのだ。しかし、それでは向こうの思うツボにはまってしまう。周知の通り、オートの運転手は観光客を店に連れていくごとに、店主からおよそ200ルピー(1ルピー=約3円)を受け取っている。しかも面白いことに、それは店の滞在時間が5分を超える場合のみに支払われるという。こうして、オートの運ちゃんは儲けている(これは一例に過ぎないが)。そして、自分と提携している店に連れて行くためには、平気であらゆる嘘をつく。インターネット上の体験談などですでにそのことは知識としては知っていたのだが、実体験としては、私もつい騙されてしまった。メイン・バザールという一番にぎやかな、商店の集う通りに行ってくれと運ちゃんに言ったのだが、彼は「今日は月曜だからほとんどの店は閉まっている。かわりに、インディアン・バザールというところならば空いている」という。日本で月曜は図書館などに休みが多いという知識が影響したのかどうかはわからないが、私はなんとなくありそうな話だと思い、インディアンバザールへ向かうことにした。そうしたら、そこはただの土産物屋だった。

  今回の旅で得た、オートの運ちゃんに騙されないための経験的教訓は4つある。第1に、目的地になんとしても直接行かせ寄り道をさせないこと。直接向かわなければ一銭も払わないと言うこと。第2に、目的地に着いた後、「ここで待っているから戻ってきて」という向こう側の提案を絶対にのまないこと。純粋に片道の移動手段として割り切るべき。運転手を待たせているという気負いから、往復の運賃以上のお金を(要求され)渡してしまう傾向があるからだ。第3に、「How much?」とこっちが尋ねると「As you like」(あなたが決めて)などという運転手が実に多いが、この手には絶対乗らないこと。ベースとなる金額が無いため値段交渉しにくい上に、日本人は日本の金銭感覚が染み付いているので、どうしても高値を提示してしまうからだ。そして、高値でない場合、運ちゃんが怒り出したりする。「As you likeではなく、料金を提示しなければ乗らない」といえば、むこうもしぶしぶ金額を提示してくる。その金額を基に値段交渉をすれば良い。第4に、運転手と友情が芽生えるなどという幻想に決して陥らないことだ。運転手はさかんに「Because we are friends」などと言う。あるいは、インドで観光客を騙している運転手の例をたくさん挙げ、気をつけたほうがいいだとか、そういうやり方は嫌いだなどと言う(もちろん自分が用いていない騙しのパターンを観光客に教えているだけである。他者を批判することによって、自分を信頼させようという手法はどこにでも見られる。他人の悪口を言い合うぶっちゃけトーク、予備校講師…)。はじめてインドに来た観光客は、向こうの一見優しい(親切な)態度に、「旅先での出会い」という幻想を垣間見て、むこうの提案を無下に断ることができなくなってしまう。それこそが、運転手の狙うところなのだ。オート運ちゃんの言う「friends」は90%以上信用できない。「旅先での現地の人との触れ合い・友情の芽生え」を求める観光客の気持ちを利用した手口が非常に多く、それらが実に巧みなことに驚かされる。この巧みさこそが、インドがかくも「実に疲れる国」である理由なのだ。その都度その都度、相手の発言の真意を探らねばならない。これは、愉快であると同時に、精神的に非常にハードでもある。

  ここで私は、あるひとつのアポリア(解決不能な問題)に陥ってしまった。「この人は信用できる/私の信用を逆手にとって騙そうとしている」を判断(区別)することの困難性ゆえだ。それは、旅先で出会った人を区分するための唯一といっても良いくらいのメジャー(尺度)なのである。しかし、相手をどのようにして判断すればよいのか。特に、自分の相手に対する信用を逆手に取るような手口が実に巧妙なインドでは、この判断は多くの困難と疲労を伴う。この判断は、旅先で出会う人に対する私の態度を根本的に規定する。自分を守りたければ常に相手を疑えば良いが、それでは旅先で拓ける可能性を自ら閉じてしまうことになる。旅の面白さが無くなってしまう。バランス感覚、舵取りが肝要なのかもしれない。信用/信用への警戒心――この二極の間で、私の心は常に揺れ動くことになる。しかし、思えばこの二極の間での揺れは、なにも旅先に限ったことではない。日常生活のなかでも、私達は常に揺れている。かなりの程度「信用」できる「親友/恋人」への憧れ、ほぼ絶対的に信用できる「家族」のかけがいのなさ。「信用」できる人々を渇望する気持ちを巧みについて、様々な商業ベースのCMが生まれ、宗教が生まれる。キリストの神様、天皇、かつての終身雇用の会社神話――私達の本当に欲しているものは、裏切りのない「信」の世界なのか――そんな世界は成り立ち得るのだろうか。

  この日私は、例のオートの運ちゃんにとことん付き合ってしまい、BIRLA TEMPLE、インド門など様々なところへ行った。帰り際に、彼に振り回されていたことにようやく気づいた私は、「As you like」と言われ、腹立ちながらも100ルピーを渡す。そう、はじめホテル前で彼を拾ったときは、10ルピーでメイン・バザールへ行くという交渉をしていたのだ。100ルピーに文句を並べる運転手を無視し、部屋へ戻った。後で知ったことなのだが、デリーにはいくつかのいわゆる世界遺産があったという。それを見逃し中肉中背の運ちゃんにとことんつきあってしまった事を悔い、訪れる街に関する基本的情報をある程度ガイドから得ることも必要なんだな、と考えを改めるに至った。観光名所を巡るよりも街の雰囲気を感じることのほうが大切だと考えている私は、これまでガイドブックを軽視してきたが、さすがに「世界遺産」を逃すとなると、微妙に動揺してしまうのだった。



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