India (4)  

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  朝、目覚めると後5分でバラナシ(ベナレス)に到着するところだった。腹部に強烈な痛み・違和感を覚えた私は、祈るような気持ちでバックパックを漁りトイレットペーパーを握りしめ、列車内のトイレへと駆け込む。列車の速度が徐々に遅くなってくる。もうすこし、列車よ止まらないで―― ついに来たか、と思った。インド旅行者がほぼ確実に受ける洗礼。色々な要因が絡まりあって起こるのだろうが、トイレの中で私が第1に考えたのは昨晩食した、車内販売の食事である。ご飯からすっぱい匂いがし、カレーの油は相当ヤバそうだったのだが、車内販売の食事をとることも立派なインド観光だ、と強行したのだ。悪種を出せば何とかなると考えた。そして、違和感をまだ覚えつつもどうにか平静を取り戻し、バラナシのホームを踏む。

  バラナシ=聖なる町(holy town)は、聖なる河・ガンジスに根差した世界有数の宗教都市だ。藤原新也は、この街の住人の顔には、世界の中心に住んでいるという自覚からか、どこか安定した感じが漂っていると書いた。たしかにその感はあった。

  ガンジス川の岸にはたくさんのガート(沐浴場)が存在する。そこで人々は洋服を洗い、身を清め、幸福感に満ちた顔で道を引き返していく。死体も排泄物も花もすべてを飲み込むその川のほとりに、私は一日中身を寄せていた――それは普通の穏やかな川であった。そうとしか、私の目には映らなかった。かつてはバラナシの象徴的ともいえる場所だった死体焼場(マニカルニカ・ガート)にも足を運んだ。全く見知らぬ他者の死体が、ピンク・金など美しい布に包まれ花に彩られ、土の上に横たえられている。それを持ち上げ、ガンジス川に浸す。赤紅色の花が死体から離れ、川の下流の方へと渦を巻きながら流れてゆく。死体は引き揚げられ、しばし待機する。死体を燃やすための薪代が必要だ。富者は質の良い、香りのする薪で燃やされる。貧者の家族は、その場で薪代を集めようと必死だ。火は、マニカルニカ・ガートを見下ろすように建っている寺院の中に燈る聖火を利用する。あらゆる死体はひとつの火で焼かれる。近くにはホスピスがあり、インド中から死期の近い者が集まり、死との出会いを待つ――受動的に、時には能動的に。組まれた薪の上に横たわる体。火が下から、徐々に体を飲み込んでゆく。美しい布や花も炎に包まれ、黒というただ一色において体と一体化する。深みを持った、黒色の物質が現前する。生の色彩豊かな存在が、火によって黒に還元される。そして、ガンジス川へと還ってゆく――そしてそこから生命が生まれる。おびただしい数の薪・薪の束はそれ自体が死を指し示す存在のような気がした。薪の断面は、死体が燃えるときにすべてが同化する黒を強く連想させる。薪の断面それ自体が、生死の境界に在る。朦朧とする炎天下の中、足の裏と後頭部に耐えがたい熱を感じながら、ミネラルウォーター片手にただ見つめていた。

  しかし、今や観光地的側面が強まったマニカルニカ・ガートの、観光客相手に生計を立てている者たちは、私が思考の世界に留まっていることを許してはくれなかった。そもそも、このガートへ辿り着くまでの間私は一人ではなかった。やたらと鋭い目つきが印象的なインド人の青年に絡まれていた。「Do you know 大沢たかお?」が第一声だった。そう、かつて沢木耕太郎の旅小説『深夜特急』がテレビドラマ化された際、主人公の沢木役を大沢たかおが演じていたのだ。そのドラマに登場した「モケ」という少年が実際にいるから見ないか?とか、この店を大沢は訪れたんだとか、青年は色々なことを説明する。彼の話によれば、大沢たかおは収録以外にも自分の足で丹念にベナレスの街を廻っていたようだ。心なしか、大沢たかおを見直す。私もそのドラマを観ていた一人だった。私の中の映像としてのベナレス像は、そのドラマに負うところが大きかった。自分が前もって抱いていたイメージ(ドラマ)と現実(ベナレスでのドラマ収録の痕跡)との交差は、予想などしていなかっただけに意外な感じがして、色々と思いを廻らせてみる。どこかの偉い学者がかつて言っていた。現実とイメージの関係とは、本来、まず現実があって、その認識をふまえてイメージや理論といったシンボル構成が行われるというのが順序だ。しかし現代においては、現実より先にあふれるようなイメージが蓄積され、そのイメージの検証の手段として現実が立ち現れてくるといった逆立ち現象が見られる。われわれは絵ハガキが現実に対応していることに感心するのではなく、現実が絵ハガキに対応していることに感心するのだ。われわれの考え方の基本テキストになっているのは、イメージの世界なのである、と。この問題は、私に深くのしかかってきた。たとえば私が火葬場を見つめるとする。しかし、私の中に出来上がっているイメージ(とりわけ映像のイメージ)を超えるものを現実から見出すのは、非常に大変なのだ。強いイメージをあらかじめ自分の中に持っている場合、常に、「自分はただイメージの追認をしているだけなのではないのか。だったら、お金をかけてここまで来る必要はあるのか」という問いと戦わねばならない。この問いは、ベナレスでは特に眼前に立ちはだかった。

  あるいは、既存の情報(テクスト類)によって、ある場所に対する自分の見方が大きく規定されるということもいえる。私の場合、藤原新也のテクストがインド観の基盤となっていた。だから、マニカルニカ・ガートでは、焼けてゆく生の肉体を目前にして、日本では得ることのできない類の「死生観」を得なければならない、というプレッシャーを感じていた。なにも知らずに偶然火葬場に出くわした沢木耕太郎は、どれだけ私より自由であったことだろう。あるいは、私の感受性では、火葬場からインスピレーションを得ることができなかった、というただそれだけのことだろうか。

  とにかく、目つきの鋭いインド人青年は、私について離れない。それのみならず、火葬場は観光客から金を貪ろうとする者の宝庫だ。髪・ひげ豊富な仙人のような老人が、死体が焼けてゆく様子を見つめていた私に「Here is a family area.Have respect for them.」とかなんとか言いながら、外部者が見れる唯一の場所だと(その老人が)いう、火葬場を見下ろせる塔に連れて行った。そこで老人は、「死者を燃やすための薪代を寄付しろ。しないなら出てけ」といって拳を振り上げる。もちろん(その男の酒代・ドラッグ代に消えるであろう)金を渡すつもりなど毛頭なく、激しく口論した後、その場から去ることにした。「You are poor Japanese.」と老人は最後の捨てゼリフ。「You are poor Indian too」とこちらも子供の喧嘩のような応酬。体調的には辛いにもかかわらず、そんな老人もインドらしくて良いかな、などと笑う余裕が自分の中にあるのが不思議であると同時に快かった。

  面白いことに、インドの、観光客相手の連中の間には、不文律があるようだった。それは、ある者が一人の観光客に絡んでいるときは、残りの連中はおとなしく待つ、というものだった。これを守らぬやつがいる場合、ただちに言い争いが勃発する。とにかく、老人が私に絡んでいる間じっと待っていた目つきの鋭い青年が、またしゃべりかけてきた。彼はお金は要らないといいながら、ガートに関していろいろな説明をしゃべり続ける。はじめは控えめに出していた「マリファナに興味はないか?」という話題を、私が彼から距離を置こうとすると、彼は盛んにし始めた。なるほど、と思った。というのも、ここまで彼の目的が解せなかったからだ。盛んに「学生だ。だから交流したくてあなたに話かけている。お金などは一切いらない」というものの、どこまでもついてくるしつこさは、明らかに何かしらの意図の存在をものがたっていた。コーラを飲む間も微妙な距離を保ち、私が動き出すのをただ待ち続けているし、挙句の果てにチャイ(紅茶)まで無理やりおごられる始末だったのだ。当初、最後にどんでん返しで突然金を請求する手口かな、と警戒していたのだが、ドラッグ関係とくれば話が早い。マリファナを売りたいらしく、マリファナはお茶の葉からできているから他のドラッグと違い唯一健康的だとか、観光客用のぼったくり価格ではなく俺の友だちは安く売っているだとか、そういう話をさりげなく繰り返す。ドラッグを売りたいという相手の目的がわかれば、あとは楽である。相手の意図に沿うか沿わないかの微妙な態度を取り続け、相手から絞れるものを絞り尽くし、相手がしびれをきらして乱暴になったら逃げるあるのみだ。「サイババの友だちの聖人が幸運にも今日ベナレスに来ている。彼は年に2〜3日しかここにこない。ぜひ祝福をあなたにも受けてほしいのだが、彼のところに行かないか?」と彼はいう。ついに、友だちを装い相手に近づく段階から、アクションを起こしにきたな、と思った。

  結局彼のいう「サイババの友達の聖人がいる家」にはいったものの、あまりにも雰囲気が怪しかったため入らず、無理やり入れようとする彼に怒りが爆発し、「Leave me alone!」と勝手に歩き出そうとする。すると彼は突然、「こんだけ一緒につきあったし、お金でもモノでもなんでも、おまえの気持ちをみせてくれ。まあ、一銭もくれないのならそれでもいいが」という。案の定な態度に嫌気がさし、「金は要らないといったのだから、払わない」と答えると、「Do you have a mind?」とくる。チャイ(一杯3ルピー)をおごってもらったことを思い出し3ルピーを渡そうとするも、「そんな金なら物乞いの子供にやれ」とつっぱねられる。何時の間にか彼の友達が隣に立っている。「何もくれないならそれでいいからもう行けよ」という。その言葉が意外に紳士的で、最後の最後まで感情をあらわにしなかった彼を今思い出すにつけ、なにもあげないこともなかったかな、と思い返されるのであった。インドでの、人を信じることの難しさ。どうしても身構えてしまう。それが、本当は純粋な触れ合いだったかもしれないある経験を、濁らせてしまう。お金・モノを与える人間関係/与えない人間関係という二つのものを、私はことさら区別してしまう。しかし、その二つの間にはそんなに違いがあるのだろうか。なぜ自分は、自分のお金を求めて集まってくる人間を卑しい者とみなし、疎外してしまうのか。まだ自分がお金をコントロールできるような立場の人間ではないからだろうか。つまり、日本とインドの経済的な力関係によって、インドの物価を日本人の私は非常に安く感じるが、そのような「日本人」のヴェールを脱いで、一人の個人として対等にインド人と触れ合いたいからだろうか。まだ、答えは出ていない。とにかく、最後まで紳士的だったかの青年を今思うと、そこまでして金銭が絡む人間関係を拒む必要はあるのか、と思ってしまうのだった。



なお→の写真はここのサイトのものを利用させていただきました。


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