自然保護運動への嫌悪感、を越えて

 お久しぶりです。長いあいだ音信不通でご迷惑をおかけした関係者各位には、これから説明に伺う予定です。すみません。ところで、「地球にやさしい」というキャッチコピーや、そのおおもとであるところの自然保護運動に対して、何かしらのうさんくささを感じませんか。自分もその一人でした。うさんくささや若干の嫌悪感を感じ続けてきた。でもつい先日、自分なりにその嫌悪感と折り合いを付ける道を発見したので、メモしておこうと思います。

 これまで、自然保護運動に対して、うさんくささを感じ続けてきた。なぜだろうと振り返ってみる。第1に、自然保護運動の「自然」という語が、ある対象を守るべき自然と認定し、他のものは切り捨てるという、選別性を孕んでいたからだ。<<なぜゴキブリは殺して良いのに、猫を殺してはいけないの?なぜ「森」は守るべきなのに、「砂漠」は守るべき対象でないの?砂漠の緑化は、砂漠の生態系を破壊することではないのか?>> 第2に、「自然」という語を突き詰めて考えれば、「あるがまま」ということなのだから、今ある生態系が滅びても良いのではないかと考えていたからだ。<<人間が地球環境を極限まで破壊し、現在生きとし生ける生物が死滅したとしても、何十万年という「地球的」スパンで考えれば、そこには新たな生物が生まれるはずでないのか?>>

 つまり、自然保護運動は、今現在この空間に生きるわたしたちないし数世代先までの子孫に対して、快さを与えてくれたり生存に不可欠な資源を提供してくれる自然環境を、守ろうとする運動だ。他方、「自然」や「地球」という概念を、(人間の手を離れた/無条件に守るべき)超越的価値だと考えている人に出会うと、うさんくささを感じてきた。「地球にやさしい」ではなく、「このわたしにやさしい」と叫ぶのならば、何も問題はなかった。

 「自然」という語が日本で最初に用いられたのは、明治6年、西周によってだという。それまでは、愛でる対象であるところの「花鳥風月」や、「山川草木」といった語が用いられてきた。「花鳥風月」や「山川草木」といった語は、より個別具体的であって、ある瞬間ある場所に存在する具体的な主体(人間)を抜きにしては成立しえない。ところが、「自然」という語はより抽象的であり、具体的な人間抜きでも成立するように思えてしまう。

 「自然」という語は抽象的だ。自分を遠く離れている。「自然保護」というスローガンはあまりに大義名分に過ぎる。しかし、家の近くにある、子どもの頃から遊んできた裏山が無くなるのは寂しいし、実家近くのさざ波立つ海岸が埋め立てられるとなると、純粋に哀しい。わたしたちが「○○を守れ!」という時、その守りたい対象は、(抽象的な)「自然」である以前に、具体的な山川草木や、花鳥風月として存在している。

 わたしたちの地元に存在する、ある美しい景観を、開発の魔の手から守りたいとする。わたしたちはどのように考え行動するだろうか。社会学者の関礼子は、「大手の浜マリンタウンプロジェクト」の事例を分析した。地元住民は、昔から慣れ親しんできた大手の浜を失いたくなかった。この「ただ失いたくない」という気持ちが一番強い動機として存在した。関礼子曰く、住民たちは「自然保護のスローガンを、外部に対して主張する際の効果的フレームとして用いた」。曰く、当初は「景観を守れ」と運動したが、効果がないとわかると、「漁業を守れ」という主張がなされた。しかし漁業補償協定が締結されてしまったので、「サンゴを守れ」という主張に切り替えられた。サンゴ問題も解決されそうになると、「ウミガメ産卵地を守れ」という言説にシフトさせた。そしてバブルが崩壊しマリンタウンプロジェクト自体が立ち消えになった現在では、プロジェクト推進派と反対派が、同じテーブルについて地域振興を模索しているという。寓意的である。「守りたいと思ったから、むしろ守るべき自然を発見していく」のである。

 「自然保護運動」という大きな物語は、多くの人が一つの目標に向かって連帯する公共領域を創成する。「目の前の綺麗な景色をわたしがただ失いたくないんです!」よりも、「ウミガメを守ろう!」と主張する方が、多くの人を巻き込むことができる。より正当性を持っているかのように思わせられる。個別具体的な自分の欲望から出発した主張を、普遍性や超越性を持っている(かのような)主張に翻訳してはじめて、「運動」を起こすことができる。「花鳥風月」や「山川草木」を守りたいというわたしの気持ちは、「『自然』を保護せよ」という命題に置換されなければならない。その気持ちを真に実現するには。

 自分のお気に入りの場所を失いたくないという気持ちには、激しく共感できる。「自然を保護せよ」という普遍的な装いの主張に、これまで「うさんくささ」を感じてきたのだが、その主張の根底に存在する動機が「わたしはこの場所を失いたくない」という気持ちであるのならば、すんなりと腑に落ちる。そして個別具体的な「花鳥風月」に対する動機は、自分個人や具体性・個別性を隠した普遍的な「自然保護運動」の論理に変換されなければならないのだ。動機の実現を勝ち取るには。


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     /   ノ ヽ (  ノ⊂ ̄))) ̄⊃
     /|ヽ  (_ノ  ._ ̄ ●   ●
    / |ノ  .)    (_)   ( _●_)   むしゃむしゃしていた。
 ∋ノ |  /――、__  ./ |∪|  その場所を守れるなら何でもよかった。
      / /| ヽ__ノ   | / ./ヽノ    今は反芻している。
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 最後に余談を。ひとつの例では、「お気に入りの場所を失いたくないという気持ち」から出発した(普遍性の衣装をまとった)自然保護運動が成功し、ある地域が国定公園に指定された。すると、国から「触れるな・壊すな」という命令が下される。運動が成功したはずなのに、人々はこれまでどおりその場所に向き合うことができず、疎外感を感じたという。また阿寒国立公園の例では、土の道路のコンクリート舗装をめぐって、関係者が紛糾した。自然保護関係者は「土の感触が大切」と主張し、他方、障害者保護団体は「車いすの人でも楽しめるように舗装して欲しい」と主張したという。あなたなら、どのような解決策を考えるか。普遍的に叫ばれる「自然」というひとつの価値はあくまで泥臭く具体的なのであって、その価値の背後にうごめくあまたの政治ゲームの存在を知ると、なぜか安堵のため息がこぼれるのだ。


Posted by gen at December 23, 2005 08:36 AM | TrackBack(0)
Comments

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 たしかに抽象概念を盲目的に振り回す人よりは、まだ「腑に落ちる」ように思えますが。「きな臭い」ことに変わりはないような気がします。

 建前の裏にどんな本音が隠れているのか分からないことほど不気味なことはないわけですから。オカルト的な陰謀論まで流行ってしまうこともありますし。

 今回の事例は、目的とする本音が公開されている上に、ハートウォーミングな印象だから「腑に落ちた」で終わらせられますけどね。

 「自然保護」「人権」「平等」「平和」「男尊女卑」などなどの言葉を用いた聞こえのいいスローガンの裏に、私的な願望が隠れていることには、ある種、警戒心を抱いてしまいますね、私は。本音と建前の均衡が著しくかけ離れたものであればあるほど、よりそのきな臭さも増すことでしょう。

Posted by: yasuchan at December 24, 2005 09:10 AM

自然を「しぜん」と読むか、「じねん」と読むか。。。
そこには、「自己」を「自然」とどれだけ分離可能か?という概念が関わっています。
詳しくは「宗教と科学の接点」(河合隼雄、岩波書店)を参考にしてください。
「胡散臭さ」は、そういった概念が混在しているがゆえに避けられない現象とも捉えられると思います。

Posted by: きすぎじねん at December 26, 2005 02:13 AM

「お気に入りの場所を失いたくないという気持ち」から自然保護運動が生まれたと言う意見は納得です。問題はその自然保護運動の本質をどれだけの人が知っているか。Genさんのおっしゃるとおり「自然保護運動」は大きな物語であり、多くの人を巻き込んでいる。一部の人々のために、多くの人が一生懸命活動するのは社会として非効率的だ。多くの人にとって、「自然保護運動」は保護のための保護であり、それ以上の意味を持たない。もちろん、地球温暖化などの対策はしっかりやらなければならないと思うが...

Posted by: Canicula at February 8, 2006 04:14 PM

“自然保護”の胡散臭さ、いかがわしさに苦しめられて40年。私にとっての“自然保護”とは、<お気に入りの場所>を奪おうとする行政・企業に対する個人としての異議申立てに過ぎません。極めて個人的な利益擁護の行動にすぎませんので、仲間を増やすための啓蒙活動は全くしません。私に共感してくれる人は数人います。流行の「環境問題」「地球温暖化」など全く関心ありません。倫理、正義を持ち込むことを拒否します。

Posted by: HIKO at May 8, 2006 06:39 PM
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