結婚について其の1からはじまるSkywardさんのBlogとの結婚についての議論の延長。男は守りに入るのか?
男子よ!なぜこうも「(社会に)縛られ」て「抜け出せない」ことや「守りに入る」ことにこだわる!?
別に結婚したからって守りに入る必要ないし(女子が男子を守ってあげるし)、抜け出さなくちゃならないわけでもない(そもそもそんなに抜け出したいのか!?)と、一女子としては思ってしまうのだけども。
不幸にはしたくない、ということはどういうことか?と考えてみると、おそらくそれは金銭的に最低限不自由はさせたくない、ということのような気がする。結婚という形を取らなければ、自分がひどく失敗したとき、相手は離れていって夫としてふさわしい人を見つけることができる。逆に言えば、自分はひどく失敗するリスクのある冒険にも挑戦できるようになる。自分ひとりに責任を負って自分ひとり食べていければいい、ということと、妻や子供に対して(それはつまり妻の両親や家族に対してもある程度は)責任を持つということは、途方もなく違う。
相方は結婚前にサラリーマン辞めて、今は自分の好きな仕事をやっている。もちろん収入も老後も保障されていないけど、彼は自分のやりたいことを自分で努力して積み上げて掴んできた人だし、好きな仕事をしている姿を見る方が私も楽しいかもな、というわけで「いいんじゃない?」と。男が守りに入らなくても、女が十分見守ってあげるってこともできる。
現在の少なくとも私の周りにいるような男のひとは、守りに入るというか責任感じるというか、結婚をそうとらえていると思います。(逆に、責任感があって良いとも言えますね。)
で、ともさんの言う通り、メリットデメリット、なんですよ。そっちしか見ないの。メリットが大きくなると、結婚しようと思う。でもデメリットだと駄目。
イコールです(断言)。結婚こそが幸せではないし全てでもないと思っているけど、少なくとも私にとっては、本気で好き=結婚したいという気持ち、だった。
本当に好きだったら、責任だの義務だの不自由だのっていうことは、何てことないって気になってくると思う。何となくだけど。
でも双方が責任を持つだの何だの言っても、やっぱり一般的に男の方が責任重大(極端な話、女が男を養うより男が女を養う方がずっと数的に多いし)だから、女子みたいに簡単には踏み切れないかもしれないな。
結婚観の価値観の変移が最も目立つ時代は1946〜48年だ。この頃は戦争や災害で配偶者を失ったり、戦争末期に結婚できなかった人たちが争って相手を求めたため、爆発的な『結婚ブーム』が出現した。価値体系は「親孝行」「家長権」「姑に仕える妻」という制度から「結婚の幸福」「夫婦の平等」が重視されるようになった。
またその他の変化として女性が、未婚の時が多いとはいえ、職場へ勤める事が普通になり、経済手段を知ると共に異性と公然と交際する道が開けた。これは、男女共学の開始と共に、配偶者選択の大きな転換を告げるきっかけとなった
でも実際に「一生結婚するつもりはない」と答える人は全体の4%しかいないそうで、かくいう自分も結婚願望があります。つまり、社会的に認められた形で二人死ぬまでいたいって気持ちは多くの人が持っている(昔の駆け落ちの独特の悲劇性とスイートさはおそらくこの気持ちの裏返しなのかな?)
私たちの場合は少なくとも、移ろいやすい恋をブロックするためのシステムとして、つまり「別れないために」、結婚したわけではない。一緒にいないのが不自然だ。この人とならお互いに義務も責任も苦なく果たせる。という確信があったからに他ならない(結局ノロケかよ!)。
2人が一緒にいるために結婚という制度を利用した、という感じ。特に私はずっと親と住んでいたので、籍を作って名実ともに親から独立するというのもあったな。
確かに、無意識のところで結婚しているということが何らかのブロックになるのかも、ということは理解できるけど、それは結果的なものだと思う。
そうそう。Genさんは「いろんなこと・ものを捨てなくちゃならない」と言う。実際お互い捨てたものも諦めたものも多少あるかもしれないけれど、それよりも2人で得るものや築くもののほうが多いってことも十分あり得る、と思う。
これは100%納得。二人が社会的に認められて自由になるし、子供はなんといっても、死んだ後も二人の形をこの世の中に残すこと。これほど素敵なこともない。
Skywardさんの実際に結婚しているという現実の前じゃ、自分の発言はあまりにリアリティがないわけで、いろいろと勉強になりました。ほんとに感謝です。
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