事実は小説より奇なり。脳内妄想よりも重みのあるリアリティを。このもはや陳腐な感もあるセリフが、ネットをやっていると、少しだけ自分に近づいてくる場面にけっこう出くわす。もうご存知の方が多いかもしれないけれど、さいきん印象強く食い込んできたサイトを二つ御紹介。
今日は520名も亡くなってしまった日航機の御巣鷹山事故(墜落at1985年)について。墜落までのコックピットの様子(ヴォイスレコーダー)を、サイトに表示される解説とともに聞けるサイトがあります(>>こちら)。とりあえず、聞くべし。
たしかに興味本位でこれを聴いたかも。えぇぇマジこわっ!みたいな。でも、たとえ興味本位でも、関心を持たないよりはマシじゃないかなと(これは難しい問題)。こうして東京で2004年に大学生として生きていて、自分がカバーできる社会の範囲なんて縦にも横にも死ぬほどちっぽけだけれど、でも、その自分の領域外のことに対してもせめて少しは関心を持つ、ということが最低限できることだと最近強く思う。
飢えで、いったい毎日何人の子供が死んでいるのだろう。1994年に、100万人という天文学的な数の人間が一国で虐殺されたことを、どれだけの人が知っているのだろう。最低限の倫理。とにかく、自分の関心領域に少しは引き込んでおく。すると、いつかどこかで、それがなにかと繋がるかもしれない。繋がって広がった関心が、大きな力を生むかもしれない。あるいは、ある事件を忘れない(「忘却の穴」に陥れない)だけでも、きっとそれは立派な生き方。ものごとが本当に消滅するのは、生き残った者たちの記憶からも、それが失われてしまった時なのだから。それ以外に、いったい自分に何ができるだろう?毎日の生活を両手いっぱいに抱えたままで。
#とにかく、これを聞いて、この事故の追憶よりも、圧倒的にざらざらした何かが自分の中に残ってしまったのでした。ちなみに、実は米軍ミサイルの誤射によるもの、など墜落原因についてはいまだに諸説語られているようです。
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