この記事はできれば読んで欲しいです。純粋に皆さんの意見を聞いてみたい。昨日の記事で書いた520名が亡くなった飛行機(日航機)墜落事故についてちょっと調べていたら、いくつかの印象的なサイトにぶち当たりました。まず、わずか4名しかいなかった生存者のひとり落合由美さんの証言(サイトはこちら)について。ジャンボ機が落ちてゆき墜落するまでを淡々と語っているさまには、本当になにか突き抜けた印象を受ける。凄すぎると、逆に、淡々とせざるをえないというか。以下、印象的な部分を少々引用。
救命胴衣は飛行機が着水して、外に脱出してからふくらませることになっています。機内でふくらませてしまうと、体を前に曲げて、膝のあいだに頭を入れる安全姿勢がとれないからです。しかし、私の席の周囲では、ふくらませてしまったお客様が、四、五人いました。男の人ばかりです。 こういう場面になると、女の人のほうが冷静なようです。泣きそうになっているのは男性でした。これはとても印象深かったことです。(中略) 私は何も聞かれませんでしたが、制服を着ていたスチュワーデスはお客様からいろいろ質問されていました。「どうなるんだ」「大丈夫か」「助かるのか」。聞いていたのは男の方ばかりでした。
俺も含めて、男は、根本的なところで弱い。泣きたくなるほど、弱虫。男は女に比べて攻撃的だけれど、それは、自分が弱いからこそ攻撃せざるをえないんだと思う。攻めている間は攻められない。でもひとたび攻められると‥。別れ際のみじめな男の姿。思わず『セックスと嘘とビデオテープ』を思い出す。
安全姿勢は、頭を下げ、膝の中に入れて、足首をつかむんです。うしろのスチュワーデスも私も、席に座って大声で何度も言いました。「足首をつかんで、頭を膝の中に入れる!」「全身緊張!」。全身を緊張させるのは、衝撃にそなえるためです。こういうときは、「・・・してください」とは言いません。
安全姿勢は覚えておくときっといいことが。そしてスチュワーデスが敬語を放棄し命令するという状況は、ひどく生々しい印象を与える。
そして、すぐに急降下がはじまったのです。まったくの急降下です。まっさかさまです。髪の毛が逆立つくらいの感じです。頭の両わきの髪がうしろにひっぱられるような感じ。ほんとうはそんなふうにはなっていないのでしょうが、そうなっていると感じるほどでした。
コースターで一番怖いのは常々上から下にまっさかさまに落ちる時だと思ってきたけれど、それが死の谷へ吸い込まれていくものだとしたら‥。圧倒的な身体感覚。このフレーズだけで鳥肌が立つに十分すぎる。
呼吸は苦しいというよりも、ただ、はあはあ、とするだけです。死んでいく直前なのだ、とぼんやり思っていました。ぐったりして、そのとき考えたのは、早く楽になりたいな、ということです。死んだほうがましだな、思って、私は舌を強く噛みました。苦しみたくない、という一心でした。しかし、痛くて、強くは噛めないのです。 墜落の直後に、「はあはあ」という荒い息遣いが聞こえました。ひとりではなく、何人もの息遣いです。そこらじゅうから聞こえてきました。まわりの全体からです。
一般的な地獄のイメージにまさに一致していますね。「はあはあ」という息遣いに囲まれた中で、ただ救いを待つしかないという状況。『蜘蛛の糸』を連想するけれども、自ら死ぬ、という選択肢はおそらく選べないのでしょう。ただ心臓が動くから、そこに存在せざるを得ないという状況。
涙は出ません。全然流しませんでした。墜落のあのすごい感じは、もうだれにもさせたくないな。そんなことも考えていました。そして、また意識が薄れていきました。
涙は出ない、ただそこに存在せざるを得ない状況。その中にいても、他の人を気遣うというのは、落合さんの人間性なのか、あるいは人間が広く持っている心的傾向なのか。極限状態で他の人を気遣う人間の姿を描いた本は数多くあり、そのような本は人間そのものへの希望というか究極の救いを与えてくれるけれども、実際どうなのかは、自分がその状況になってみなければきっとわからないのでしょう。
たとえばナチスの強制収容所での体験やサリン事件の体験のように、あまりに強烈すぎる経験は、圧倒的過ぎて言葉にできないことが多い。これがトラウマです。トラウマ(心的外傷)は、過去→現在→未来というような時間軸に沿ってある体験を説明することができないことが原因だといわれています(『心的外傷と回復』)。順序だてて、ストーリー(物語)としてある体験を説明できないから、自分でもその体験をコントロールすることができなくなってしまう。時間軸に沿った物語を作れないから、ぽつぽつと断片的に語ることしかできない。そして、その体験が過去の出来事だということを理解できずに、記憶の断片が現在の自分にオーバーラップしてきて、常に恐怖にさいなまれるようになる。
強烈すぎればすぎるほど、ある体験の証言は得にくくなる。時間軸に沿ってきちっと語られる証言を得ることが困難なためです。その意味でも、落合さんの「語り」には、ひどく心を打たれました。(つづく)
***→