イラク問題と自分の生活世界

 少し挑発的な書き方をします。イラク問題を語ることは、ある意味「気持ちのよい」ことでした。なぜならそれは自分の身から離れた「大きなこと」だから。メディアの話題を独占した、華やかなことだったからです。人質3人を批判する人たちは「国」や「責任」という概念を持ち出して、あれこれ言い合うことができた。政府を批判する人たちは「人命」や「正義」や「ボランティア」などという概念を立て、叫びあうことができました。

 このBlogを読んだ友人が、「すげーなぁ俺はダメダメだよ。正直、俺にとってイラクとか考えてる余裕も暇もないし関心がないんだよね」と言いました。いや、ダメとか言う必要は、全くない。俺も彼も何も変わらない。これは大事なことです。私たちには私たちの生活世界があります。手の届く範囲、あるいは電車や車で行きかう範囲の、実際に生きている場所があります。自分にとって切実な領域があります。これが結局はすべてで、そこから首を伸ばす必要を感じない限り、イラク問題について議論する必要は全くないのです。イラク問題を議論した人は、そこから自分の生活世界に何か示唆を得たかったからこそ、語ったのです。憤りや悲しみや怒りを感じながら、「自分の生活している世界に彩を加えた」のです。自分勝手なものです。

 イラクは華やかな場所です。でも、世界中の死者のことを想うなら、アフリカなどの方が構造的にはよほど悲惨な現状です。それでもイラクについて語ってしまうのは、イラクが私たちの生活世界にとってより大きな意味を持っているからです。結局は、自分のために語っているのです。もし「正義」的な倫理観を追求するのであれば、まずは自分の身の回り(生活世界)でそれを徹底することです。身の回りの暴力を見過ごしていないか?まわりの誰かを傷つけていないか?可哀想と感じる気持ちをごまかしてだまっていないか?親を悲しませていないか?手を差し伸べているか?すべてはそこから始まるはずです。そしてそこで終わるはずです。イラク問題について「大きく語って」自己陶酔するのは自由ですが、本当に徹底するならば、自分の生活世界での生き方を完璧にすることです。そうすれば、「ボランティア」を必要以上に持ち上げる必要も全くない。もちろん徹底する必要はないですが。

 イラクの3人にとっては、イラクが「切実な生活世界」となっていたのです。だから彼らはそれに命を賭けた。彼ら以外にも、海外で支援活動を行っている人たちはたくさんいるでしょう。でも、そういう人たちが、特別偉いわけではないのです。会社でプロジェクトに打ち込む人、あるいはニュースなど気にせず黙々と家を建てる職人、子育てを頑張る母親、これらの人に比べてイラクの3人が「より上」だとか「偉い」と思いますか?3人だって、ある意味親を悲しませているのです。もちろん、昨日述べたとおり「他人の利益のために生きる人」を尊敬する気持ちは自然だし大事だと思います。けれどもその人達は普通に生活する人より「偉い」わけではなく、尊敬を強制されるいわれも、また必要以上に持ち上げる理由もないのです。だから3人が他者に迷惑をかけたならば、その点に関してはきちっと批判する。「責任」とはそういうものです

 まず自分の生活世界があります。そこを精一杯生きることがすべてです。体調や精神の状態がすぐれなければ、その中で精一杯生きることです。友人のひきこもりだって、精一杯生きています。そしてもし私たちがイラク問題に対して関心を持つならば、そこから何かインスピレーションを最大限得ることです。より「平和」を志向するような生き方を、自分の生活世界で実践しようと思ったかもしれません。願わくば、「アメリカ追随ではなく日本国なりの正義に基づいた外交を行い、自国の安全を保障するにはどうすれば良いか?軍隊を持つべきか?あるいは持たないならどのような道がありうるか?」(参考)を考えることです。まずは明日頑張ろうと、俺は思いました。かなり説教っぽくて気持ち悪いけれども、自戒の念を込めた文章でした。


Posted by gen at April 17, 2004 11:10 PM | TrackBack(1)
Comments

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そのとおりだと思います。
なんであれ、やれることしかやれませんから。
もちろんやれることの範囲を広げていくことも大切ですが、まずはやれることをカッチリやっていく。
それをさいしょの一歩として自分なりのものを追いかけていけばそれでいいのであって。

ブログ・掲示板って、そういうヤなところありますね。
上から下に物事を見下ろした気になれるわけで。
もっともその実、社会的に顧みられるほどの存在ではない己には何の変化もなく。
しょせんは個人の気慰めの域を出ることなく。

でもウーロンは「これはちょっとどうか」と思うようなものに対しては声を上げないでいられません。
それもまたやはり個人の問題であって、言いたいことがあるのに我慢していると身体に悪いからだったりしますが。(汗)
今はそれでいいと思って活動しています。

Posted by: ウーロン at April 18, 2004 03:44 PM

ウーロンさん、コメントありがとうございます。

ご指摘のとおり、ネットの世界で、自分を棚に上げて国家だの人命だの大きな概念にすがって自己陶酔している人が多く感じられたので、このような文章を書きました。おまえらはそう簡単に政府も人質も批判できるのか、と。

またとにかく「援助活動を行っている人たちを批判するなんて信じられない」みたいな風潮にもかなり違和感があります。それは自分を離れて「大きな正義感」に酔っているだけでは、と思ってしまう。

>でもウーロンは「これはちょっとどうか」と思うようなものに対しては
>声を上げないでいられません。
>それもまたやはり個人の問題であって、
>言いたいことがあるのに我慢していると
>身体に悪いからだったりしますが。(汗)

この感覚は非常にわかります。
この感覚を失ってしまうと、どのような立場であれ、
極端に独善的なものになってしまうのではないかと思います。
ウーロンさんの活動の行方を楽しみにしています。

Posted by: Gen at April 18, 2004 08:10 PM

「まず自分の生活世界があります。そこを精一杯生きることがすべてです。」は、少なくともあの女の人にとっては、イラクで子供たちと一緒に生活することだったと思う。最新のblogであなたも認めているとおりに。それに「あの人たちを助けるために使われた莫大な経費」が、アフリカで飢えに苦しむ子供たちのために使われることは、ありえない。もしあの人たちがすぐに殺されていたら、こんなに大騒ぎにはならなかったのではとも思うし。あの人たちによって迷惑を被ったのは、あの人たちの家族と、外務省とか、現地であの人たちの救出のために動いた人たちと、特別報道番組のためにもしかしたら見たかった番組が飛んでしまった人たちくらいだと。ただ、イラクの人たちはすんごく賢い。あのやり方で、アメリカの態度を変える事に成功している。国連がアメリカよりましなのかどうか、それはわからないけれども。

Posted by: lovedidy at April 19, 2004 04:36 PM

lovedityさん、はじめまして。
コメントありがとうございます。

>「まず自分の生活世界があります。そこを精一杯生きることがすべてです。」は、
>少なくともあの女の人にとっては、
>イラクで子供たちと一緒に生活することだったと思う。

もちろんそうですよ。
嫌な言い方をすれば、
植草さんは逮捕を招き、あの三人は拉致を招いたわけです。

>それに「あの人たちを助けるために使われた莫大な経費」が、
>アフリカで飢えに苦しむ子供たちのために使われることは、ありえない。

別にアフリカでなくともいいんですよ。
ただ、彼らの行動が絶対的ではないことを示すために、
用いた例です。

>あの人たちによって迷惑を被ったのは、あの人たちの家族と、外務省とか、
>現地であの人たちの救出のために動いた人たちと、
>特別報道番組のためにもしかしたら見たかった番組が飛んでしまった人たちくらいだと。

いやいや私たちも間接的に迷惑を被ってますよ。
現実的な損失額が半端ないわけですから。
だから彼らを批判する権利も、もちろんある。
必要以上に海外での援助活動を持ち上げる必要は、全くない。
みんな「やりたいから自分が好きでやっている」わけですから。
みんな等しく「自分の生活世界」を精一杯生きている。
だから、彼らは当然謝罪すべきでしょう。
その上で、初めて信頼関係が生まれてくる。
社会ですから。

ただ、国家戦略として民間活動を支援するならば、
当然セーフティーネット的な制度を整える必要はあるでしょうね。
NPO、NGOの話になってしまいますが。

>ただ、イラクの人たちはすんごく賢い。
>あのやり方で、アメリカの態度を変える事に成功している。

「あのやり方」が何を指しているのかは不明瞭ですが、
「人質にとるやり方」のみを指しているなら、必ずしもそうとは言えないでしょう。
本質的には、イラク戦況の泥沼化があるはずです。

>国連がアメリカよりましなのかどうか、
>それはわからないけれども。

少なくとも「大義」の点では、より妥当でしょうね。
イラクの人々も抵抗感は(比較すれば)少ないはずです。
また国際社会で協働する復興援助という前例はいくつでも作るべきだと考えます。
現実的には、各国の利害調整で紛糾するでしょうが。

Posted by: Gen at April 19, 2004 06:30 PM

追加。
とはいえ、彼らがイラクで活動を継続するのは、
個人の自由だと思っています。
また、あの3人の後に解放された2人のうち一人が
たしか「信念の問題から謝罪する気はない」と述べていますが、
これも納得はできます。

現実的な自分たちの損失と、彼らの大義(生活世界の切実さ)を天秤にかけた上で、
その生き方を「尊敬(これも全く個人的なものです)」できるなら、彼らをあまり批判はする気にならないでしょうね。

したがって、彼らを批判するかどうかは、
やはり個人個人の信念の問題であって、
あまり議論すべきものではない気もします。

Posted by: Gen at April 19, 2004 06:39 PM

お返事ありがとうございました。
お勉強の邪魔をしてはいけないので、一言だけ。
イラクの人たちにとって今一番大切なのは、イラクがひとつにまとまることだと思います。今はアメリカ憎しでひとつにまとまろうとする傾向が現れつつある。
「大儀」とか、「各国の利害調整」じゃなくて、イラクは、イラクの人たちのもの。日本の正義とは、あるとすればそういうことだと思うのですが。
ただ、アメリカ憎しでまとまってもすぐ分裂しちゃうでしょうから、「ひとつにまとまらないと豊かになれないし、石油もはげたかにさらわれちゃうよ。」って
まだイラクの人たちに良いイメージがあるうちに、日本が説得してみたらどうかな。

Posted by: lovedidy at April 20, 2004 07:37 AM

返事ありがとうございます。

>イラクの人たちにとって今一番大切なのは、イラクがひとつにまとまることだと思います。

イラクはシーア派、スンニ派などの宗教派閥対立、あるいはクルド人など人種対立の問題もあるので、ひとつにまとまることはおそらくないでしょう。(ユーゴでこれをやろうとした結果は大虐殺です‥) 「国家」というものも、元は一つの思想、一つの幻想にすぎません。具体的にイラクの戦況を抑えるには、国連が強権を発動して各派の利害を調整する以外にないと考えます。もし、イラクを今後もひとつの国家として存続させるならば。あるいはイラクの人々はひとつの国家として存続することを望んでいるのでしょうか?これも色々な考えの人がいるんでしょうね、イラク国内に。

>「大儀」とか、「各国の利害調整」じゃなくて、イラクは、イラクの人たちのもの。
>日本の正義とは、あるとすればそういうことだと思うのですが。

これはその通りで重要な指摘なんですが、「大義」の意味をすこし誤解されてしまったみたいです。「イラクの人たちにとって納得が行くでしょう」という意味なのですが。占領軍アメリカに支援されるよりは。

根本的に考えてみます。イラクが自力の復興を行うことはおそらく困難でしょう。だれかが「雇用の創出」を行わねばなりません。自衛隊は復旧作業を行うのではなく、復旧作業という名の雇用を創出することが第一の責務だと考えます。これが真に「イラクの人々のため」の復興支援なんじゃないでしょうか。

Posted by: Gen at April 21, 2004 12:41 AM

お返事ありがとうございました。
お忙しいところ、恐縮です。

私はイラクの人たちがひとつにまとまらないと、内戦になって、平和はこないと思う。宗教とか人種とか、石油とか、各国の思惑とかいろいろ絡みすぎて、おまけにテロリストにそこのところを利用されたりして、せっかく武器を捨てて利害調整に入ろうとしたとしても一気に内戦ということだってありうる。

分裂すれば当然石油の出る土地は誰のもの?でまた新たな争いがおこる。

国連が強権を発動できたとしても、イラクの人たちに
内戦をさけてひとつにまとまろうという意思がなければ利害の調整はできない。と思う。

イラクでは、米英と戦いたいから、それ以外の外国人は出て行って欲しい。という人がいて(普通の市民)
そういう人たちが、2名のジャーナリストを拉致した
のだそうです。

****
私はあの3人の人たちは謝罪をするべきだと思うし、落ち着いたら何があったのか語るべきだと思うけれども、これだけの損失があってというのは違う気がする。それじゃお金を払え?払える金額じゃないでしょ。

自己責任は、拉致されて、日本政府に対する脅迫の種になったりしないように、そういうことが起こらないようにする責任があったのであって、もうおきちゃった事だからつまり責任をまっとうできなかったわけで、そのことに対しては、謝罪したり説明したりする
義務はあると思うだけで。

だから批判する権利というのも当然あるでしょうね。

でも株価の暴落による損失まで持ち出すのはどうかと思う。株価なんて、常に上がったり下がったりしているわけで、株を動かしている人たちはそれこそ「自己責任」でリスクヘッジしているはず。無事解放されて持ち直せばまたあがったりして、得してる人だっていっぱいいるんじゃない?

個人的には税金も国民を守るために使われているんだからそれは真っ当な使い方で、むしろ日本は人道支援とか、公正なジャーナリズムとかを支持するんだという間接的な表明になると思う。だからといって、どんどん危険な地域に行ってどんどんつかまってください
とはいえないけど。

Posted by: lovedidy at April 21, 2004 10:07 AM

いえいえ。
こちらこそ、度々お返事ありがとうございます。

>私はイラクの人たちがひとつにまとまらないと、内戦になって、平和はこないと思う。
>宗教とか人種とか、石油とか、各国の思惑とかいろいろ絡みすぎて、
>おまけにテロリストにそこのところを利用されたりして、
>せっかく武器を捨てて利害調整に入ろうとしたとしても一気に内戦ということだってありうる。

まさにアフガンもこのシナリオを演じつつありますね(もっとも、アフガンは石油などの「金を生む木」がないため、国際的にすっかり見放されて忘却の淵に沈んでいますが)。ちなみに、個人的に「テロリスト」という括り方はあまり好きではありません。「テロ」という言葉はブッシュが盛んに喧伝していますが、別に「テロ」という言葉を用いなくとも、「内紛」「内部抗争」という言葉で解釈できる事例が多々あるように思われるからです。「テロリスト」というレッテルを貼ると、その武力によるいざこざが起きる現象の背景が見えにくくなってしまうと思うのです。いわば、そこで思考が停止してしまう感じです。ブッシュもそれを狙ってさかんに「テロ」という言葉を用いているのでしょうが。

本題に戻すと、lovedidyさんのその意見は核心を突いていると思います。イラクが現状の国境線と民族構成で「国家」を再建しようと決めたならば、「イラク国民」の結集軸が必要になってくる。「自分たちがひとつの国家/国民としてまとまるとこんなにいいことがあるんだ。だから少々のことには目をつぶって頑張ろう」ということを彼らが実感しなければ、ひとつにまとまることはないでしょう。日本の戦後→高度成長期に、日本国民が抱いたような感情を、です。では、どのようにすれば、彼らはそれを実感することができるのでしょう。あるいはもう実感している人が大多数を占めるのだろうか。この実態を把握しなければ、lovedidyさんが先日述べていたような「外からの説得」は不可能でしょう。この問題は考えてみる必要があるかもしれません。

>私はあの3人の人たちは謝罪をするべきだと思うし、
>落ち着いたら何があったのか語るべきだと思うけれども、
>これだけの損失があってというのは違う気がする。
>それじゃお金を払え?払える金額じゃないでしょ。

払えというのは不可能でしょうね。また払えと思っている人はそれほど多くないんじゃないでしょうか。自分も払えとは言ってません。ただ、国の金はどこか抽象的なところからわんさか出てくる感覚を抱いている人が多く見受けられたから、注意を促しました。自分の身銭を切っている感覚があまりに欠けている。小泉改革の一環として医療費自己負担額が上がりましたよね?これによって自分の家族は父の病気のために月30万近いお金を巻き上げられている。崩壊寸前です。まずこの痛みがあるから、個人的な怒りが生じたわけです。少なくとも3人の解放後の態度を見ていると、腹が立ってしょうがなかった。せめて深い謝罪をまず見せてほしかった。PTSDとかありえない嘘をついてこそこそ逃げているのも不快だった。これはちょっと臨床系をかじっていればわかる話です。まぁ個人的ですが。

>自己責任は、拉致されて、日本政府に対する脅迫の種になったりしないように、
>そういうことが起こらないようにする責任があったのであって、
>もうおきちゃった事だからつまり責任をまっとうできなかったわけで、
>そのことに対しては、謝罪したり説明したりする義務はあると思うだけで。

それもひとつのまっとうな考え方だと思います。まぁもうどうしようもない話なんですよね。彼らにヒーロー気取りされなければそれで十分です。個人的にも考えるきっかけを貰ったので。

>個人的には税金も国民を守るために使われているんだからそれは真っ当な使い方で、
>むしろ日本は人道支援とか、公正なジャーナリズムとかを支持するんだという間接的な表明になると思う。
>だからといって、どんどん危険な地域に行ってどんどんつかまってくださいとはいえないけど。

自分勝手で自己中心的な「人道支援」を慎んでもらえれば、何もいうことはないです。昔アフリカで消息を絶った医師の話をどこかで聞いたとき、まさに尊敬の念が芽生えましたからね。日本として民間活動に対してどういう姿勢を取るのか、という議論こそ活発化させていくべきでしょうね。

Posted by: Gen at April 22, 2004 03:54 AM

どうもお疲れ様です。
お返事ありがとうございます。postのタイムコードに驚きました。申し訳ないです。

ええと、そうそう。「外からの説得」はおかしいですよね。よく考えてみると。まずイラクの人たちのほうからひとつにまとまらなくちゃというのがでてこないと。イスラム圏の人たちは、自分たちの宗派の指導者の言うことをとても信頼しているみたいだから、まず宗教で大同団結できればまとまる可能性は大きいと思います。でもイスラム教のことはよく知らないので、そんなことができるのかどうか。
週末のログに注目してます。(^^)

あと、テロリストという言葉についてもはっとさせられました。犯行声明がなければ本当はだれがなんてことわかりませんしね。(あってもわからないか?)自爆でつっこむのはみんな同じグループの犯行のように漠然と思ってたかも。

***
日本として民間の支援活動にどういう姿勢をとるのかについては、NGOとかの活動ってもともと国家の利益とかに関係なく行いたいから「非政府」なんで距離のとり方はNGOの人たちに聞いてみたい気がします。

でも税金使うんだから、有効に使われるための枠組みとかルールとかを考えて欲しいですよね。


なんかろくに勉強もしてなくて、たいした知識もないのにあてずっぽ見当でつまんないことしかいえなくてすみません。
でもここはずっと注目していきますからがんばってくださいね。

Posted by: lovedidy at April 22, 2004 01:54 PM

またまたお返事ありがとうございます。

>日本として民間の支援活動にどういう姿勢をとるのかについては、
>NGOとかの活動ってもともと国家の利益とかに関係なく行いたいから「非政府」なんで
>距離のとり方はNGOの人たちに聞いてみたい気がします。
>でも税金使うんだから、有効に使われるための枠組みとかルールとかを考えて欲しいですよね。

ここにもしかしたら問題の本質があるのかもしれませんね。つまりNGOは「国家」権力が持つ暴力性だとか傲慢さに対する対抗として存在している面もあると思うんです。「国家」に対して違和感を抱きながら、でもひとりでは何もできないから、集団的に連帯して行動しよう、という感覚。そしてそこに存在意義もあります。

けれど今回の場合は、(彼らがNGOとどう関わっていたのかはわからないけれど)、いわば先に述べたような民間活動の論理と、国家の論理が衝突してしまった。民間活動の論理は国家の論理に依存しないからこそ意義を持つのに、今回のようにいざ人質にとられたり国際的事件に発展すると、国家の論理(外交・軍事力・資金)に頼らなければならなくなってしまう。そして自分たちの論理が、国家の論理、ないし税金を払っている国民に迷惑をかけてしまう。

今までBlog界隈でなされてきたのは、このような衝突が起きた際にどうするのか、どういう対応をとるのか、そういう議論だったのかもしれません。これは国民・民間活動家・政府三者を交えて「こういう場合にはこうするぞ」という姿勢みたいなものを論じ合う必要があるのかもしれませんね。ただ、もちろんこれまでもそんなことは行われてきただろうし、どうすればよい方向に行くのか、自分なりのアイデアは全くわいてきません。

>なんかろくに勉強もしてなくて、たいした知識もないのに
>あてずっぽ見当でつまんないことしかいえなくてすみません。
>でもここはずっと注目していきますからがんばってくださいね。

いえいえ。このコメント欄で一番熱い議論が交わされていますよ。笑 単刀直入なツッコミをもらえると、無意識のうちにしていた誤魔化しができなくなって、より深く考えなきゃいけないところまで追い込まれるので、むしろ大歓迎です。日常感覚との乖離も防げます。感謝しています。これからもまた、厳しい指摘をよろしくお願いしますね。

Posted by: Gen at April 23, 2004 01:35 AM
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Title: 見失っている豊かさ
Excerpt: 豊かさに関する考えが抜けている気がします(そういう教育は受けてないし)。いつも金持ちクラブの国(G7とか)と比較して、日本の待遇が悪いとかの情報が多いんでしょうね。途上国と比較しろというわけではない
From: ああ思う、こう思う
Date: 2004.04.28