相手の気持ちを考えつつ感情のままに生きること

 垂れ流しから移植。今回の恋愛で得たもの失ったもののまとめ。

 別れ際に、「もう少し感情のままに生きてもいいんじゃないのかなぁ‥」と言われた。感情のままに生きること。それは、歳を重ねるごとに、色々なことを知り考えるたびに、一番失ってきた、でも実は一番大切なこと。

 深く考える、つまりひとつの決断を下す前に慎重にあれこれ吟味して限りなく公正な方向へ自分を開いていこうとするのが学問の身のこなし方だとすれば、そうじゃなくて、考える前に全部ぶつけて全部引き取るような、そんな熱い何かを忘れかけていた。そんな「熱さ」がなきゃ何も生み出せない場合や関係性があるということも。なにかを切りひらく、誰かを心から捕まえる、そのためにはまず丸ごと自分を投げ出すこと、生身のまま投企すること、こんな4年前の自分ならしっかり出来ていたことを見失っていた。

  相手の立場や気持ちをあれこれ考えるってのは、実は、自分が決断の重みから逃げてるわけでもある。そこにサプライズってのは、無い。

 わかりやすい喩えは、芸術だ。ある作品が優れた芸術であるかどうかは、作品の「強度」によって決められる。その「強度」は何によって生まれるのか。作品がフェアだからじゃない。相手(鑑賞者)を思いやっているからでもない。むしろ、時に暴力的に強引に、全く相手を省みずに、切り裂いてくれるから、わたしたちは芸術に打ちのめされ惹き付けられる。そのかわり芸術は、すべてを一人で引き受ける。丸ごと投げて丸ごと引き受ける。驚きやときめきは、そこにしか生じない。学問の身体技法に染まって、生きるうえでの芸術を忘れるな。生の芸術、そしてその強度を、常に忘却するな。

 相手の気持ちを考えて行動するってのは、逆にいえば、相手の予想の範囲内にとどまるってことでもある。相手の気持ちがわからなければ、常に新しいなにかを与えられるだろう。けれども、わかってしまったら、苦しいのだ。相手の気持ちに敏感になればなるほど、自分はどんどん狭められてゆく。自分は決して「いいひと」じゃないけど、「いいひと」が恋愛対象から外され続けるのは、そこなのだろう。

 相手の気持ちを想像しなくて済むのならば、なんと自由なのだろう。社会学者のブルデューはいう。労働者階級の人々は、高級レストランで、人目を気にせずガチャガチャ音を立てる。彼らは自由だ。上流階級の人々は、軽やかに高級レストランにふさわしい立ち振る舞いをする。一方、中流階級の人々は、「マナーを守らなきゃ」という意識(=相手の気持ちの想像)に縛られるため、労働者階級のように自由に騒ぐことも出来ず、かといって軽やかに振る舞うこともできず、常にぎごちなくなってしまう。

 わたしたちは歳を重ねるにつれ、相手の気持ちを想像するようになる。想像することから責任が生まれる。でも、その想像は自分を狭め、自分を相手にとって凡庸なものにしてしまう。相手の気持ちにとらわれつつ、それでも、常に軽やかに新しい何かでい続けること。相手の気持ちを想像しつつ、それでも、自らを押し通し、「芸術」として決断し、丸ごと責任を引き受ける「熱い何か」を忘れないこと。――何も考えずに自由に振る舞えたあの頃はもう過ぎ去り、大人の男としてどう生きていくのかといえば、これしかないのだろう。後悔なら腐るほど出来るが、腐りたくないなら、後悔の向こう側へ突き抜けるしかない。


Posted by gen at July 2, 2005 06:58 PM | TrackBack(0)
Comments

 ***→ へぇ〜 : [記事別Ranking]


なんか、いいなあ、生きてるって感じ。
他人がもがいている、でもその先に希望がある、って状況好きですね。
大恋愛って大曲解、大誤解という魔法がないと成り立ちにくい気が・・夫唱婦随に徹したとおじいちゃんに褒められたおばあちゃんは最後まで別れたいと言っていたらしい。

Posted by: aoi at July 3, 2005 10:51 PM

aoiさん、コメントどうもです。

生きてるって感じはたしかにほんとうに。

>大恋愛って大曲解、大誤解という魔法がないと成り立ちにくい気が・

「恋愛とは美しき誤解であり、誤解であって差支へありませぬ。そして結婚生活とは恋愛が美しき誤解であったことへの惨憺たる理解であります。」((c)亀井勝一郎)

Posted by: Gen at July 4, 2005 01:47 AM

はじめまして。ちづるといいます。

私と同じ考えを持った方だったので、共感しちゃいました。
それを素直にまっすぐ表現できるところがやっぱり私とは大きく異なるところですが。。。

>考える前に全部ぶつけて全部引き取るような、そんな熱い何かを忘れかけていた。そんな「熱さ」がなきゃ何も生み出せない場合や関係性があるということも。なにかを切りひらく、誰かを心から捕まえる、そのためにはまず丸ごと自分を投げ出すこと、生身のまま投企すること、こんな4年前の自分ならしっかり出来ていたことを見失っていた。

この文章が特に共感しました。
まったくそのとおりです。

しかし丸ごとの自分を捧げることがどんなに難しいことか・・・
でもそれが出来て、本当の信頼関係が築けるんじゃないかって思います。

Posted by: ちづる at August 29, 2005 04:09 PM
Post a comment









Remember personal info?








Trackback