先日のJR事故ニュースに関連して思ったことを、いくつか。第1に、JR側に100パーセント責任を負わせることができるかどうかについて、法的な論理を離れて、いささか抽象的に考えてみる。第2に、確率としてのリスクと、まさに他ならないわたしが被害者になるということの間にある埋めがたい距離について(偶有性=contingency)。反論を切実に希望します。 ※04/27, 16:00, 後半大幅加筆修正
本家サイトのGuestbookにて、「僕のように髪型などの容姿の事でクヨクヨ悩む事ってありますか?これってバカバカしいことですか?」と質問を投げかけられた。自分にも無縁じゃないので、一度きちんと考えてみよう。人生論や「ナルシスト」論とも関わってくるだろう。
前回のエントリーは繊細なテーマであるにも関わらず書き出しからして軽薄だったし、確実にある読み方をされるだろうなと思っていたら、やはりそのような読み方をされたみたいなので(それを「誤解」として自分を弁護するつもりは全くないですが)、もうひとつだけ書かせてください。まず、葵さんのコメントを全文引用しておきます。
ホント、これで万全だと思ってしまう男だからこそ男なのか?判れといっても想像つかないでしょうね。こんなことで産婦人科の門をくぐらなけりゃならない情けなさを。何かあっておたおたしてくれた方がどれだけ人間的か、結果さえ押さえればいいととりすましている男に付き合わされる女性は気づかないうちに壊れてきそうです。良心の呵責を負いたくないための姑息な手段としか思えません。それにしても妊娠も病気も、この人のなら後悔しない、と思える相手とsexしていないのが不思議。それぞれ価値観は違うと思いますが、恋愛観こねくりまわすまえに心震える恋愛をこそじっくり味わってほしいと思います。続きを読む...
そういえばこの前、かなり久々に合コンをした。相手は看護婦だったのだが、その場でもリサーチを怠らなかった友人に思わず頬が緩んでしまう。その中で少し気になったのが、以下の箇所。
Q、(産婦人科の方へ)中絶とかどのくらいの頻度で行われているんですか?続きを読む...
A、うちの病院では、ほぼ毎日来ますね(yasuchan驚く)。