前回のエントリーは繊細なテーマであるにも関わらず書き出しからして軽薄だったし、確実にある読み方をされるだろうなと思っていたら、やはりそのような読み方をされたみたいなので(それを「誤解」として自分を弁護するつもりは全くないですが)、もうひとつだけ書かせてください。まず、葵さんのコメントを全文引用しておきます。
ホント、これで万全だと思ってしまう男だからこそ男なのか?判れといっても想像つかないでしょうね。こんなことで産婦人科の門をくぐらなけりゃならない情けなさを。何かあっておたおたしてくれた方がどれだけ人間的か、結果さえ押さえればいいととりすましている男に付き合わされる女性は気づかないうちに壊れてきそうです。良心の呵責を負いたくないための姑息な手段としか思えません。それにしても妊娠も病気も、この人のなら後悔しない、と思える相手とsexしていないのが不思議。それぞれ価値観は違うと思いますが、恋愛観こねくりまわすまえに心震える恋愛をこそじっくり味わってほしいと思います。
何を書いても弁解みたくなるので非常に書きにくいけれども、ただ、思っていることだけをシンプルに書きます。一番伝えたかったのは、モーニングアフターピルという選択肢を知らないよりは知っていた方が良い、その選択肢の行使に踏み切れるだけの知識は持っておいた方が良い、だから宣伝しよう、なぜなら中絶という事態が精神的にも肉体的にも一番悲惨だと思うから、ということでした。それ以上でもそれ以下でもありません。どう受け取っていただいても構わないです。
20歳のころまでは「避妊をきちっとする自分は偉い」みたく変な勘違いがあって、それを当時付き合っていた人に「覚悟がないだけやん。責任感あるふりして責任から逃れたいだけの勘違いちゃう?」と批判されて、深く沁みて、いろいろと考えました。葵さんの「それにしても妊娠も病気も、この人のなら後悔しない、と思える相手とsexしていないのが不思議」という指摘とも通底していますね。
それぞれの相手を深く好きだった頃、基本的には、「子供が生まれても良い」という覚悟はありましたよ。「こいつのためなら死ねる」といささか稚拙な幻想にも酔っていたものです。ただ、それはあくまで自分の気持ちの問題。セックス、ないし恋愛は、二人の営みです。もっといえば、親兄弟など、その二人を支えるまわりの人間をも含んでいる営みです。さらにいえば、彼女が四つんばいのころから積み上げてきた人生、これからどんな死に方をしてゆくのか、それらに対しても責任を負う営みです。「俺は子供が生まれてもちゃんと責任を取るし引き受ける、だから避妊しないでおこう」。こんなことを言う男はどうでしょう。違和感を持ちませんか?決定的に女性、あるいは彼女を育んできた両親の視点が抜け落ちているのではないでしょうか。男が「責任を引き受ける」といえば済む問題ではありません。
恋愛は二人が二人の輪の中に閉じこもる排他的なもので、だからこそ人を魅了してやまないわけですが、その輪をまわりから支えている人たちがいます。くだらない言葉を使えば「社会」ですが、「わたしたちは本当にお互い好きなのだから○○しても良い」という構文が登場する際、決定的に見落とされているのは、その「社会」なのです。結婚とは、二人の排他的な輪が、その「社会」をある程度は引き受けますよ、その「社会」の中で二人の輪を自己実現しますよ、と宣言することです。だから結婚は、ある意味、窮屈になると同時に、自由になることでもあります。
人はそれぞれの人生を生きています。それぞれがある段階で、お互いを必要とすることもあるでしょう。好きならば、つまりその時点で二人永遠に一緒でありたいと思うならば、セックスをすることもあるでしょう。あるいは基本的にセックスは快をもたらすものだから、必ずしも思慮深くない人間は、はずみでしてしまうこともあるでしょう。今・その時点で、子供が生まれる可能性を引き受けることは絶対ですか?お互いが恋愛関係以外で非常に大事な局面にいるとしても?その際に避妊手段をとったからといって、それは非難されるべきことですか?まさに価値観の問題としかいいようが無いと思うのですが。
「心震える恋愛」とは何でしょう。子供が生まれる可能性をその時点で二人が引き受けなければ、「心震える恋愛」とは言えないのでしょうか。お互いがお互いに人生を精一杯抱えている、余裕がない、でもどこかでお互いを必要としている、いつかは結婚したいね、いつかは子供を生みたいね‥。こんな恋愛は許されないのでしょうか。そしてそれは「心震える恋愛」と呼べないのか?その際のセックスは断罪されるべきなのでしょうか。「本当の自分」なんてものは存在しないように、「本当の恋愛」なんてのも存在しない、とわたしは思います。お互いがお互いを必要としていた、そしてその瞬間は永遠とつながっていた、セックスをした。それ以上に「(本当の)心震える恋愛」なんて、あるいは「これはセックスをして良い恋愛だ」なんて、誰が価値判断できるのでしょう。
二人が、そして二人を支える人々が、納得できるのならば産めば良い。大切に育ててやれば良い。でも、必ずしもそうとは限らない。恋愛はわたしの覚悟の問題ではない。彼女を含むし、彼女を支えている人たちをも含む。彼女の人生全体という縦の軸をも含む。許されないとき、できれば、彼女の身体・精神の傷を最小限に抑えたい。二人を取り囲む「社会」を傷つけたくない。相手の親を苦しませたくない。ミスを犯して、どうしてもそれ以外に手段が無くなったとき、モーニングアフターピルという手段に頼ることは罪でしょうか?もちろん、罪ではあるでしょうね。
話が長くなりました。云々は措いておいて、繰り返します。子供を産むことが許されない状況で、お互いごまかしながら・不安な顔で生理をただ待つくらいならば、モーニングアフターピルという手段を知っておいた方が良い。二人で選べる選択肢は増やしておいた方が良い。この選択肢を知らない人には、教えたい。それだけです。
改めて自分の文章を見るとまるで毒矢のようですね。
個人的にこの女はどこかで自分のコンプレックスを刺激されてむかっ腹を立てたんだなと見て取れますね
genさんの趣旨は今回のコラムで理解しました。
他人の価値基準にまで踏み込んでこちらこそ余計なお世話論でした。すみません。
ただ、光速が最速であるのが自明の理とされているように中絶が最悪事態、という認識をされているようなのがなんていうか・・
確かに事態だけをとらえると「なんてことを!」レベルですが、では回避すればいいのかというとそれもまた薄ら寒いのよ、という裏心理も小さくそこに。
穿った見方をすれば毎回否定されているわけですからね。種としての自分の存在価値を。
やむなく中絶に至ったときも、自分がどれだけ傷ついたかでなく、そんな自分のために彼がどれだけ悩んでくれたかでその恋愛を捉えることがあるのではないかと・・女のエゴでしょうか?
だから避妊するななんて言っていませんし、オーラルを教えれば、なんて馬鹿げてる。
本来の目的は生殖、副次的に発現する快感を共有することで満たされたい、と思うのか私は、と常に疑問は持っています。球根を作るために捨てられてしまうチューリップの花のようだと・・不毛に思うことは確かです。
所詮、私個人の見解ですので他の方にも聞いてみたいですね。できれば男性の意見も。
心震える恋愛、問い直しました。
それはリスクを恐れない
葵さん、どうもです。
>やむなく中絶に至ったときも、自分がどれだけ傷ついたかでなく、そんな自分のために彼がどれだけ悩んでくれたかでその恋愛を捉えることがあるのではないかと・・女のエゴでしょうか?
>だから避妊するななんて言っていませんし、オーラルを教えれば、なんて馬鹿げてる。
いや、全くエゴではないと思いますよ。それこそ「結果が良かったんだから文句いうなよ」なんてほざく方がよほどエゴ丸出しです。人としての「誠実さ」みたいなものがあるとすれば、当然葵さんのおっしゃる方向性を追求すべきだと思います。ただ、これは何もモーニングアフターピルを使用することと完全に矛盾するわけではなくて、結果としての安全追求とそこで人間らしい痛みを抱え込むことは、同時に実現できる。実現できるかどうかは他人が押しつける道徳の問題ではなくて、その男がこれまでどのように生きてきたかというまさしく「人間性」の問題でしょう。
常に「人間性」を問われているわけで、男がひどい対応をとれば、女はたちまちその男を捨て去っていくのでしょう。
>本来の目的は生殖、副次的に発現する快感を共有することで満たされたい、と思うのか私は、と常に疑問は持っています。
>球根を作るために捨てられてしまうチューリップの花のようだと・・不毛に思うことは確かです。
たしかに不毛です。でも現実として、人間はそれほど思慮深くないのも、また事実です。たとえばチーズケーキ。
進化的には、甘さおよび脂肪のこってり感は、「今ここでこれを蓄えておけば少し長く生き延びられる」というサインでした。
つまり生の切実さがあった。
ところが、ひとたび「チーズケーキ」なるものが発明されると、肥満体型になるまで人はそれを貪り続けてしまう。快楽中枢を過剰に刺激するものを、人は手放すことができない。
つまり、人間の嗜好性向のすべては、本来、生存ないし繁殖の切実さを伴うものだった。でもその嗜好性向を刺激する物質がひとたび開発されると、人は切実さをスポイルしてしまう。
これをどう捉えるかは価値観の問題ではあると思いますね。
>心震える恋愛、問い直しました。
>それはリスクを恐れない
恋愛の形は色々あるのでは、とわたしは思います。
Posted by: Gen at April 15, 2005 10:59 PM生殖が主で快楽が副次的という見方もできるでしょうが、逆の状況もあると思います。
(家族関係なども含めて)「安心して」子供を育める環境であれば、快楽が主で、生殖は副次的だと思います。
いや、そういう観点がどうのこうのといって考えること自身、女性の視点からすれば「何?」ということになるかもしれません。
どういう見解を取ったにせよ、「知」によって「情」を押さえ込む方向に価値観を見出す性(さが)と、そんな「知」から自由でいたい「情」を求める性(さが)でしょうか?
(知・理や情・感が)主とか副次的とかではなく、本来は相補的だからこそ、リスクを犯してまで求め合うのかもしれないですね。
>葵さん
私の友人に彼氏とsexをした結果、避妊に失敗した経験がある方がいます。その彼氏は彼女に妊娠させてはならないと焦り、病院を調べ、ピルという手段に手を伸ばしました。彼女はその彼氏の慌てっぷりに幸せを感じたそうです。
「ピル=心震える恋愛ではない」と考えるのはいかがなものかと。ピルもしくは他の避妊手段を敵視でもしているのですか?あなたに過去、何があったか知りませんが冷静じゃないんじゃないですか?少なくとも最初のコメントにおいては。
ただ自分のことを他人に気にかけてほしい。そういうエゴしか読み取れませんね。別に中絶・避妊うんぬん関係なく。さみしいですね。
まあ、さみしさは誰しも持ち合わせているものですが。しかし、それを表に出してヒステリックに他人の人格を非難するのは美しくないですね。
Posted by: をう at April 16, 2005 12:08 PM私のここのコメント1での最後の二行、意味不明ですよね、消し忘れたまま送ったんです、ごめんなさい。
全部書いて、消しながらの作業なもので。すぐ訂正しなかったのでさらに誤解を招きました。
きすぎさま
そうですね、なるほど、ただひたすら子孫を残すだけの行為の「はず」なのに・・と私は決め付けすぎていたようです。
「をう」さま
人格非難してないですよ。だって誰か特定の人をあげつらっているわけじゃないもの。genさんは素晴らしい方ですよ、目が世界に開かれていて。それに今までの書き込みを見ても異論、反論いろんな味付けをじつに美味しく私達にも読ませてくださったその懐の深さを頼りに書かせて頂いたのであって。
かえって「をう」さんのお立場が私から見て非常に中立というか、いったいどちらの性別なのかな、と興味が・・で、大天使ガブリエルのような視点。
ふざけているんじゃないのです、正直にそう感じたままです。
避妊は確かに必要です。
ピル=心震える恋愛ではない・・って趣旨のこと書きましたっけ?
それに、女=被害者という受け取られ方も他でされたようで自分の筆力のなさのせいか、毛頭ありません、そういう意識は。
打算を含めて想像つくじゃないですか?
ただ、多分、振り返ってみて私の言いたかったのは・・
双方にベターな結果を求めて最短距離を取れるのが男、けれども気づかないほどの女のちいさな「ゆれ」があるんじゃないの?
最初のgenさんの打開策ということで提示された内容にはついていけなくなるんじゃないの?ということです。
エゴですか。
あるとき、どうして、目や口や鼻が外にむかってついているのかなあ、と考えました。
内部についていたらよく自省するだろうに・・
それは多分、世の中で自分の居場所を確保するためだ、自分はここだ、こうしなきゃ死んでしまう、生きていきたいんだと外にむけて主張していくためであるんだと結論づけ、現在のところもそう思っています。コギト・えご・スム(寒)・・のぶつかり合いが世の中であり、そのエゴの協和、不協和こそがエネルギー、争い、かつ絶大な美しさの源だと思います、少なくとも今の私は。
もうちょっと人間的に丸くなったら「をう」さんのように感じるかもしれません。
私の書き込みで他にも不快な思いをされた方がいらっしゃいましたら、お詫びします。
Posted by: 葵 at April 16, 2005 01:21 PM
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