Blogを書いたり人と語ったりものを書いて生活するときに、自分の言葉を生み出す根拠となる場所が欲しいなぁ、どこにそれを求めりゃいいんだよ?という其の1の話に続く第2弾。先に其の1を読むか、興味のない方は読み飛ばしてくださいまし。まあまあ長いです、覚悟してください。ハチマキ締めてください。でもGenは好きな文章です。ちなみにタイトルをクリックすると、文章が多少読みやすくなります。
まず、其の1で見落としていた点を2つ。第1に、「人と語る」という視点。読書だけじゃなく、人と語るうちに自分の関心がはっきりしてきて、語るべき内容が見つかることも多々あるわけです。其の1にならえば、それは2.の人生経験に当てはまるのでしょうか。第2に、言葉で語るだけじゃなく、たとえばデザインやメイクみたいに、言葉を介さなくても自分を表現する手段はあるという視点。でもデザインにしても、自分の作品を売りにする場合、価値が必要になってくる。きっと其の1で書いたような「俺のオリジナリティの根拠は何か‥」という悩みを抱えると思う。
第1について詳しく。人と語るのも、本を読むのも、文章を書くのも、すべてが同じことだと感じる。人と語って、自分の語りたいこと表現したいことが見つかる。本を読んで、自分の関心がはっきりしてきて、語るべき表現すべき内容がわかる。文章を書いて、はじめて知っていること/知らないことがはっきりしたり、次に何を吸収していけば良いのかがわかる。そして、「言葉が生まれるべき場所」がどんどん増えてゆく。
第2について詳しく。デザインやメイクなどアート系は、情報の「確実性」が少ない分、より「意外性」が重視される分野だと思う。でも何かを生み出すとき、その源となる「場所」が必要なのは、言葉と変わらない。人と語ったり本を読んだり作品を多く吸収したり、あるいは自分の人生経験が源となって、「表現すべき内容が生まれる場所」が増えてゆく。
いずれにせよ、自分のオリジナリティの源となる場所が必要です。では、オリジナルなものを表現する可能性は、いったいどこにあるのか。
1.以前だれかが表現したものと似たものを表現しても、今、この場所で表現することに、価値がある可能性
2.以前誰かが表現していても、それを違うものと組み合わせたことに価値がある可能性
3.誰かが表現したある内容を、より多くの人々に広めることに価値がある可能性
4.純粋に自分が新たな表現をすることに価値がある可能性
1.を「今ここだからこその価値」の名づけよう。たとえば、仕事は基本的に、過去に繰り返されてきた似たようなことを反復表現する作業だ。ひたすらデータを整理したり、塗装したり。でも、それを一回行うごとに、誰かの生活が幸せになったり、社会がうまく機能するようになる。うつ病の患者を治すための理論だって、その理論を自分が医療の現場で反復・再生産すれば、一人の人間を回復させることができる。流行っているメイクは一人の女をモテさせる。あるいは、俺が世界平和を語るのと、ブッシュが語るのじゃ全然意義が違う。語るべき人が語るべき内容を語る、ということにも凄く価値がある。
2.を、「新しい組み合わせ方の価値」の名づけよう。たとえば、ナチスのヒトラーみたいな全体主義は怖いぞ、ということは繰り返し言われているけれど、それを現在のブッシュやアメリカの文脈で語りなおすことは、意義があるわけです。プラトンの思想を現代にあてはめたり。あるいは二つの映像を編集によってつなぎあわせても、その編集の仕方に新たな価値が生まれる。CDとかでよくある「オムニバス」だって同じことです。
3.を、「情報伝達の価値」と名づけよう。エイズの危険性はすでにさんざん叫ばれているけれど、GenがBlogで書くことには、有意義な情報を広めるという価値がある。
4.を「純粋な意味創造の可能性」の名づけよう。たとえば「民主主義」という思想は、人類が誕生したころには存在しなかった。あるいは、マルクスは「共産主義」を生み出した。ピカソは「ゲルニカ」を描いた。純粋に新しい表現をする可能性も、もちろんちゃんと残っている。でもこれは一部の天才のもの、という気もする。
このように、生きるってことは、たいてい何か価値あるものを表現することなんですよね。それでもGenが其の1みたいに苦しんでいるのは、学問の世界が、シビアに情報の「確実性」と「意外性」を要求してくるからなんです。たとえ以前誰かが同じことを言っていても、ある考え方に、自分の生活経験からたどりつく(=自力でたどりつく)ことに意義があるんだ、とうちのBBSでAnonymousさんが語っていました。Blog書いたり生きるだけなら確かにそうなんだけど、作家や学者みたいに文章でメシを食ってこうとする人、あるいはデザイナーみたいな人は、シビアに情報の価値を考えなきゃいけないと思うんです。またそれ系の本を読み漁ったら書いてみます。
#何か自分の中に表現すべきものを持つために、「語るべき言葉が生まれる場所」を探しながら、生きてゆけたら素晴らしい。きっと充実して毎日がちるちる満ちる。そのためには、吸収するだけじゃなく、とにかく一度表現してみることが必要です。人と語ったり文章書いたり、とりあえずデッサンしてみたり。何か壁にぶつかって、はじめて人は成長できるから。壁がないと、人間は次に行くべき場所を見失ってしまう。これはホントに、そう思う。―――ヒコトコで良いのでコメント、お待ちしてます。って流石に読んでくれた人少ないか‥
其の一、二と読んで、Genさんの文章に度々出てくる「肉体感覚、身体感覚から言葉を発する」ということがなんとなく分かりました。
Posted by: useless at February 12, 2004 12:13 AM具体的に「ここが納得できない」みたいな所はないですか?なんて、言われても困りますよね。笑
Posted by: Gen at February 12, 2004 11:02 PM
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