とりあえず究極の恋愛論part.1とpart.2の続編エントリー。もしこれを読むならば先にそれらを読んでくださいませ。本当に書きたいことはまだまだ書けずじまい。ここで、これまで書いたことを少々実践的なことにつなげてみたい。つまり、「相手を惚れさせる」「恋愛を長続きさせる」にはどうすればいいのか?
3.惚れさせるには?
精神分析学の大家ラカンはこう述べている――「愛とは、持っていないものを与えることである」。もっともラカンはより深い「愛」の次元でこの言葉を発していたのだろうが、それはひとまず措いておく。また村上春樹が小説の中で軽やかに語るところによれば――「相手の引き出しをひらいてやることさ」。さあ、今まで拙論を読んで下さった方ならもうおわかりだろう。
簡単に言えば、相手を惚れさせるには、相手の a.性的魅力への希求 b.<わたし>のアイデンティティの希求、その両方を満たしてやればよいのだ。そして「その人と一緒でなければわたしのa. もb. も満たされない」と思わせることだ。ただ「惚れる」ことには二つの面がある。第一に、好きになる、つまり恋心の誕生の段階。第二に、別れずにつきあってゆく、つまり恋心の維持の段階だ。
第一の面について。ヨゴレに徹しているからこそ言えるのだが、早い話、セックスをしてしまえば一番手っ取り早い。相手のa,の面をまず満たせる。すると自分はただの友人ではなく、相手にとってちょっと気になる存在となるだろう。社会心理学の実験で極めて有名な「吊り橋の実験」というものがある。かなりはしょって簡単に説明しておく。まずサクラの女性が、被験者の男性にアンケートを取る。そして、「このアンケートの結果が知りたければ、私に電話を下さい」と言って、電話番号を渡す。この時、アンケートを取る場所は2種類あって、「地面」か、「揺れるつり橋の上」。そうすると、「つり橋の上」でアンケートを取った時の方が、「地面」で取った時よりも、男性が電話を掛けてくる率が多かったという。実験者はこれを「つり橋の上という危険な場所で感じたドキドキ感を、彼女への恋心と勘違いして、電話を掛ける男が多かったに違いない」と結論した。
つまり、人間はある程度自分の「ドキドキ感」に後から意味づけをする傾向を持っている。(理由はどうであれ)ドキドキ→「このドキドキはあの人のせいかも‥」と考える→好きになる→あの人を見ただけでドキドキ‥という循環が成立するわけだ。とすればセックスをしてしまった者は強い。あとはb.を満たしてやるだけだ。これはキスでも良いかもしれない。あるいは体が触れるだけでも。いわゆる「ナンパ術」みたいなもので語られる「スキンシップの重要性」もここらへんに理由がありそうだ。とにかく、まず相手を何かしらa. 性的にドキドキさせると強いということはいえるだろう。
だがa. の性欲だけではなく、b. のアイデンティティを満たしてやることが恋愛にとっていかに重要かということを、これまで繰り返し述べてきた。恋のきっかけはa. でも、b. がなければ恋愛は長続きしないだろう。b. とはつまり、あなたが<わたし>のアイデンティティを与え続けてくれる、ということである。part.1で繰り返し語ってきた「わたしがあなたを好きなのは、あなたがわたしのアイデンティティを与えてくれるから」論を再読して欲しい。
さらに重要な次元がある。恋人の新たなアイデンティティをあなたが与え続けない限り、恋愛は停滞し、倦怠し、やがて別れへと至るであろう。新しい「相手の引き出し」を開き続けねばならない。人は可能性を信じて生きる存在である。いいかえれば、人は「わたしはもっと別の自分になれるかも。今のままじゃない。いろんなことを知りたい。いろんなわたしになりたい」と信じる存在である。それに応えなければ、すなわち相手の「わたしには可能性がある」というアイデンティティも満たさなければ、恋愛は逃げてゆくだろう。刺激にあふれる現代社会ならなおさら、だ。「夢がある人が好き」というのも、夢がある相手と一緒にいることで、自分にも可能性が拓けている気がする、すなわち「可能性のアイデンティティ」をわたしが得ることが出来るからなのだ。ラカンを想起されたい――「愛とは、持っていないものを与えることである」
どういうときに恋愛は終わってしまうのか。<わたし>のアイデンティティが欲しい‥<わたし>が大切な存在ということを確認させて‥わたしわたしわたし‥。つまり、自分のアイデンティティを相手に求めてばかりいるとき恋愛は黒い幕を徐々に降ろしはじめるだろう。最悪な例は「ふたりは恋人である」という関係性にしがみついて、束縛し、「最近やる気がなくね?」と相手をけなし、二人の関係についてのトークばかりになる状態だ。そこには何も新たな「可能性のアイデンティティ」が見えはしない。疲れる。冷める。相手に新たなアイデンティティを与え続けること、これこそが恋愛を維持させる特効薬である――あなたは相手に何を与えているのか?これから何を与えられるのか?
駆け引きについて。駆け引きは何も卑しいことではないし、むしろ相手との関係をリスペクトしているなら駆け引きすべきだと考える。そのことについては以前論じたことがある。「好きな相手にはすべての自分をさらけ出したい、何も作為したくない‥」そう考えるのが人情かもしれない。だが相手も一人の他者であり、アイデンティティの構築ゲームという側面を恋愛が強く持っている以上、ある程度の駆け引きは恋愛のマナーといってもいいように思う。あなたが駆け引きをしたくないのは、あなたが相手に「わたしの嘘偽りのない本当のアイデンティティ」を求めているからに他ならない。それは「楽をしている」ともいえるのだ。少なくとも駆け引きは「恥ずべき事」ではない。さて、次回はようやく、愛の本質と自分が思うところについて書いてみます。
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