今日また不思議なセリフを聴いてしまった、「あの人は私のこと好きなんじゃなくて、恋してる自分に酔ってただけなんだよ、結局は」。強烈な違和感を感じた。何だ、それは。相手を好きだということと、相手を好きな自分が好きということは、全く同じ。ではそもそも好きってなんだ?恋って何だ?愛ってなんなんだ?「とりあえず」究極の恋愛論。1.なぜわたしは誰かを好きになる?2.制度としての恋愛論 3.惚れさせるには?4.恋愛と永遠――哲学・芸術・宗教と「愛」5.「好き」と「愛」の違い・恋愛の本質とは何か、という流れで。今日は1.について。
1.なぜわたしは誰かを好きになる?
便宜的に愛/恋の区別はひとまず保留。人に恋心を抱くとき、あえて分けるならば、その理由はおおまかに二つあるといえよう。一つはa. 性的魅力にまつわるもの、もう一つはb. (相手が)自分のアイデンティティを与えてくれることに関するもの。
a. 性的魅力は、人間のいわば「本能」と呼ばれるものに関連している。 人間も進化を経て誕生したひとつの「種」/ヒトという動物であるならば、恋愛感情も進化的に形づくられてきたはず。女性ホルモン、エストロゲンが多いと胸が大きくなる。だから胸が大きい女性は人気が出やすい(「出やすい」ということは、それがすべてではないということ。これは人間の救いかも)。セックスしたいという感情。相手の体臭にドキドキすること。男らしい筋肉に感じるドキドキ。セックスすると好きになる。酔った勢いでしたキスの記憶が頭から離れなくて、その人のことを好きになる。
b. (相手が)自分のアイデンティティを与えてくれることに関するもの。これはつまり「優しいからあの人が好き」だとか「一緒にいると素の自分でいられる」だとか「その人に会うために生きている」だとか「あの人は尊敬できる」だとか「あたしの帰る場所だからね」だとか「あいつのこと放っておけないんだよな」とか「だって超カッコイイし(可愛いし)」とか「趣味があうんだよね」、「オシャレだから」なんて話に関するもの。
a. あるいはb.に 起源を持つ恋愛感情は、どちらも自分の欲望から来ている。「あなたを好き」ということは、「わたしを満たして欲しい」ということと同義である。a. 性的魅力に関しては説明するまでもないだろう。わたしがドキドキしたい。オレがセックスしたい。体の関係を失いたくない。抱かれたい。触れていたい。
b. わたしのアイデンティティを求める恋愛感情に関しても、同様なことがいえる。あなたがわたしに優しくしてくれるということは、つまり自分が大切な存在だと確認できるということ。尊敬できるということは、その人の側にいると自分もその人に一体化することができ、なにか素敵な力を貰ったような気になるということ。たとえば音楽の才能がある人と一緒にいると、自分が持っていない才能を相手が持っていることによって、どこか満たされてしまう。自分が持っていないものを相手のなかに「わたしが」発見し、その人が「わたしを」大切にしてくれることによって、「わたしも」その音楽の才能に触れているような気になる。趣味があうということは、自分の好きなコトの一番の理解者を見つけるということ。つまりその人が自分を認めてくれることによって<わたし>の中身に裏付けを与えてくれるということ。「放っておけない」ということは、その人の世話をやくことによって自分の存在意義を確認したいということ。その人にとって大切な存在になることによって、大切な<わたし>を作り上げたいということ。
さて、もちろんa. とb. 両方にまたがる感情も多いだろう。両者は互いに循環しあっている。たとえば「顔がいいから好き」なんてのは、進化的な面(遺伝的に顔がいい→モテる→子供もそうなる→子孫繁栄)もあれば、一緒にいることによってわたしの美意識が満足させられる、その人の恋人であることによって自分の価値が上がる(イイ男/女のアイデンティティを得られる)というb. の側面もあるだろう。オシャレだから好きというのも同じこと。
フーコーもアリストテレスも同性愛だった。とすれば彼らはa. の側面よりもb. の側面により惹かれていたということなのだろうか。相手の優秀さ(精神の奥深さ)に触れると、かけがえのない<わたし>を知ることができる。フーコーのような卓越した精神性の持ち主は同性愛に走りやすいというのも頷ける。なぜなら精神が強靱であればあるほど、体の側面を超えて、精神的なエロスを重視できるはずだからだ。a. は手っ取り早いといえば手っ取り早い。プラトニックラブの奥深さはb. にとどまることによって限りなくa. 性的魅力の価値を高めてゆくところにある。実際にセックスをしてしまえば、「なーんだそれだけか」となってしまう。だからこそ、あえてしないで、極限までa. の価値を高めてゆく。純潔とは肉体的エロスの価値を高める最良の手段である。相手に触れずにいるがよい。ちなみに同性愛者ほどセックスを求めやすいといわれるが、これについては別の機会に触れたい。
とにかく大切なのは、あなたが「わたしだけを第一に見てくれる」ということである。「わたしのかけがえのないあなた」であるからこそ、「かけがえのないわたし」を(あなたとの関係の中に)発見することができる。この意味では別に「マザコン」も異常ではないといえる。親ほどあなたを大切にし濃密にまなざしてくれる人もいまい。マザコンはa. <b. が強い状態なのかもしれない。
さて、ここまでの論は「自分=他者の他者」論に基づいてきた。すなわちあなたは自分一人では自分のアイデンティティをなにも知ることができず、他人と比較することによってはじめて「自分とは何なのか」を知ることが出来る、ということだ。身長、頭の良さ、大学生、おしゃれ、映画好き、優しい‥すべて他人との比較によって理解できることだ。これらはすべて「他の人より○○」という形でしか記述されえない。だが、大学生はあなただけではない。身長172cmも、優しい人も、オシャレさんも、あなただけではない。「あなただけ」という自分固有のアイデンティティを得るには、「あなただけ」が得られるものを探す必要がある――そう、恋人である。
相手を大切にする時、あなたは「相手が自分に与えてくれるアイデンティティ」を手放したくない。恋してる自分に酔っているとき、あなたは「相手が自分に与えてくれる<恋してるわたし>というアイデンティティ」を得ることができる。つまり「あなたが相手を好き」ということと、「相手を好きな自分が好き(恋してる自分に酔っている)」ということに違いはないのだ。ふたつはまったく同じことのオモテウラである。――「あの人は私のこと好きなんじゃなくて、恋してる自分に酔ってただけなんだよ、結局は」なんてセリフは、そもそも不可能なのだ。そのセリフに込められた真の意図は――「あのひとはわたしを満足させるようなわたしのアイデンティティを与えてくれなかった」。自分が満足できなかったことを人のせいにしちゃあいけない。
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