明けましておめでとうございます。15万もの人々が地球と歴史に呑み込まれて幕を開けた2005年。言葉がないですね。とにかく今年も何卒宜しくお願い申し上げます。まぁ新年の抱負なんて小泉の答弁並みにロクなもんじゃないんですが、個人的には物腰の柔らかさを身につけたいと考えた元旦でした。
さて。クリスマス前に書いた「一番無駄なものが、一番ロマンティックである」にコメントを寄せてくださった方がいました。彼女の指摘が論点を炙り絵のように見せてくれます。どうもありがとうございました。伝えたかった点をあらためて強調しておきます。
驚嘆すべきなのは、「恋愛」こそ、合理的・科学的な意味でも遊びが残されている領域だということです。ふつう科学や(経済的)合理性の世界に芸術やジョークやウィットが入り込む余地はありません。
進化の「生存」(自然淘汰)の観点に立つと無駄なもの(遊び的要素)は一切残ることができません。芸術はコストがかかる、けれども生きる上での物質的メリットを残さない。だから当然この世に存在していなかったはずです。恋愛(というよりも生殖)は、「肉とセックスを交換する」機械的作業になっていたでしょう。
けれども私たちは「恋人を選ぶ」という進化の第二の側面――性淘汰――によっても育まれてきました。この領域では、生存上不利なもの(一般的な意味で合理的でないもの)でも存在することができる。あなたが合理的な人間ではなく短命で息絶えようとも、あなたに惹かれた異性が子孫を残してくれる。一方、遊び心の全くない「肉を取るだけ」の男は子孫を残せない。恋愛の世界では、「無駄さ(遊び)」が、合理的・科学的な(進化という)システムの中に許容されるのです。その結果、今に生きるわたしたちは豊穣な精神世界を我がものとし謳歌しています。
でも、欲しいのが指輪なのにどんなに気持ちをこめて贈られたプレゼントであってもそれがカンピョウだったりしたら無駄、というより当てがはずれる、というか疑念が生じますね。でも恋焦がれてきた寿司職人が左手の薬指にカンピョウを巻いてくれ、イクラをのっけてくれるなら世界一のプレゼントになるだろうと思います。
これは彼女のご指摘ですが、カンピョウは論点を締め上げてくれます。進化的には、件の「無駄さ」は恋人の魅力を指標として示すものでなければなりません。「やらせろ」ではなく愛の言葉を紡がねばならない。カンピョウではなく、カンピョウを用いて何かを演じるなりして相手を喜ばせねばならない。寿司職人でなければならない。このひと工夫こそがロマンティックな「無駄さ」を仕上げます。さながらカンピョウで巻くように。相手に魅力を感じさせるひと工夫が、単なる「無駄さ」と「ロマンティックな無駄さ」の分水嶺です。この「ひと工夫」が進化的に意味があるため、そこから合理性の中に許された非合理性――芸術・ユーモア・道徳――が生じてきました。恋人選びそして恋愛は、経済的・物質的合理性の中に我が城を打ち立てる聖域です。
言いたかったのはこういうことです。せめてクリスマスくらい「無駄さ」と「ひと工夫」で勝負しろ。高い指輪じゃ脳がない。あなたが自分自身の資質を魅せつける最良の機会、この世に二つと無い「ロマンティックさ」を演出できるチャンスなのだと。
もっとも、「お金で買えない価値がある」――pricelessのCMはここをピンポイント爆撃し、ふたたび経済的合理性の世界に「無駄さ」を引き込もうとしています。CMとはそのようなものです。「無駄さ」の新たなストーリーを提供する。わたしたちはドキドキする。でもそれと引き替えに商品イメージを植え付けられる。商品を通じて「無駄さ」の新たなストーリーを実現することを要求される。このプレゼント交換こそがマルクスのいう「交換価値」の現代版なのでしょう。OLYMPUSのカメラCMはかつて「君が好きだというかわりに僕はシャッターを押した」と唄いました。「闘争せよ!」――今こそ敢えて叫びます。――「お金で換えない価値がある」
私の突拍子もないコメントでも反応してくださって有難うございます。嬉しかったです。
性衝動は恋愛の核にあるものだと女性の側からはうっすらとそう感じるだけなのですが今回またあらためて思ったことがあります。
レイプが犯罪になるのは手間とヒマを省くからだと。
genさんのおっしゃる意味での無駄さ(を歪曲して捉えているのかもしれないですが)それに距離をもたせて回り道としても捉えるならば、その軌跡が恋愛と呼べるのではないかと。
音楽もソナタト長調、はい、ソシレ、となるまえにどれだけの道草をくってきたかが音楽であると。
ウィルスが自分達の徘徊する余地を残しておくために人類を絶滅させないんだ、と聞いたことがあります。
私にとって恋愛とは人類が種を絶やさないために見えない、人間の生存への意志、がはたらいてぽわーんとさせられたり、ある一定の種(恋人)にこだわらせられたり、受動的な衝動に駆られているように感じます。
書いていて結構色気も味気もないですね。
いや、でも闘争です。やはり、婉曲に、手間ヒマをかけた・・恋をするようにプログラミングされた人間ならではの・・
葵さん、コメントありがとうございます。
レイプをめぐるいさかいは、最終的に「その時女性側が関係を持つことに同意していたかどうか」が争点になりますよね。たしかに回り道をしていればしているほど、相手が同意する確率も上がるのでしょうが。
でも、回り道の軌跡が恋愛だという点には同意します。恋愛なんてやることは凡庸そのものなので。独特に甘酸っぱいコード進行とかありますよね‥
ウィルスが自分達の徘徊する余地を残しておくために人類を絶滅させないんだ、と聞いたことがあります。
私にとって恋愛とは人類が種を絶やさないために見えない、人間の生存への意志、がはたらいてぽわーんとさせられたり、ある一定の種(恋人)にこだわらせられたり、受動的な衝動に駆られているように感じます。
たしかに寄生するウイルスのうちのいくつかは、宿主を殺さぬよう進化しています。でも宿主を死に至らしめるウイルスもあります。実は、男と女が分化したのは、有害なウイルスに対抗するためなのだと考えられています。つまりAとBを分け組み合わせることで遺伝的変異を毎世代起こすことによって、ウイルスに対抗しているわけです。
個人的には、恋愛といえば、種を絶やさぬようというよりも、「私」を絶やさぬためにプログラムされているものだと感じます。そして、やはり「闘争」ですよね。笑
Posted by: Gen at January 15, 2005 05:11 PM
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