最高の相手を嗅ぎ分ける数学的戦略

 今日はタール1mgで軽めに。「37%ルール」を御存知だろうか。有名なのでもしデジャビュならスルーしてください。バイトで面接する店長、あるいは結婚紹介o-netの会場で真剣なまなざしが会場を舐め回して定まらないあなたは必見。懐かしの「ねるとん」とか。マジ懐かしー。佐竹とワンダフルの司会の女がカップルになったりしてましたよね。

 あなたがある集団から最高のパートナーを見つけようとするとき、候補者一人ずつを順番に面接し、以前に面接を行った人をもう一度面接することはなく、一番良いと思った候補者を選ぶというような場合、この「37パーセントルール」が便利だ。37パーセントルールによると、まず、何人の人間が応募してくるかを推定し、そのうちの37パーセントに面接する。そして、その最初のサンプルの中で一番良かった人を覚えておく。次に、先の一番の人よりもさらに良いと思われる人が出てくるまで、面接を続ける。いったんそういう人が現れたなら、もう面接はやめて、その人を採用すればよい。

 つまり、たとえば、1回のねるとんで10人の恋人候補と出会えるとして、最初の相手を選ぶと、最高の相手と得る確率は10分の1となる。最後まで待っても同様にまた10分の1になってしまう。そこで、3人見送って、その後いままでの3人の中のベストな人よりも理想に近いと感じた最初の相手を選べばよいのだ。この戦略を採用すると、3分の1の確率で最高の相手を得られる!これは数学的に最高の方略だ。

 これは使える。全体のサンプル数が少ない限りは。たとえば身近に洋服選びの時。古着屋を回ったり、あれこれ悩んで、最後に店に戻ったらもう売り切れ、疲労感が身を溶かす‥。そんなとき!このルールを是非。10件まわるなら、最初の3件でベストだった洋服より可愛い服を見つけたら即買いすべし。ちなみに自分は別文献で知ったけれども、次の本にも詳しく書かれているそうな。

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 さて、東京に住んでいるロンリーさんが、東京の人口の37%とデートすることは物理的に不可能だ。つまりこの方法は候補者の数が増大するとコストも増大してしまう。では人間は実際にどのような方略を用いて生涯のパートナーを選んでいるのか。「一ダース試せ」というルールはひとつの仮説である。あなたの人生の繁殖可能な期間に、出会うはずの恋人候補の総数を厳密に推定する必要はない。だいたい50人だと決めつければよいのだ。50人の37パーセントはおおよそ1ダースである。

 わたしたちはなぜ子供を産む相手を決める前に恋愛を繰り返すのか。人はかなり良い相手を探しているのであって、見つけられる限りの絶対第一位を探しているわけではないのだ。このどんぶり勘定は、厳密な意味での37%ルールとほとんど同じくらいうまく働く。大事なのは、恋人たちの間の違いを十分に見分けることができるルールであるかどうかだ。進化はどうやらそのように人を形作ってきたらしい。(Todd,P.M., & Miller, G.F.(1999). From Pride and Prejudge to Persuasion: Satisfacting in mate search.)

 人間は合理的でないといわれる、感情に流されると言われる、非論理的に行動すると罵られる。だがしかし、「一見」非論理的に行動することが進化的に適応的だったからこそ、そのように行動するようになったのだ。論理学的な意味で厳密に論理的に思考した場合、コスト的に破綻する。そこでかなりうまくいくような、どんぶり勘定を利用する。感情をもう少しポジティブに評価したい。情動にほだされ目をぎらつかせるあいつを評価したい。感情の話はいずれ取り上げるつもりです。


Posted by gen at January 9, 2005 02:17 AM | TrackBack(0)
Comments

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いつも拝見させていただいております。
少し疑問に思ったことがあるのですが、この恋愛論というのは、基本的に「異性を対象とした」恋愛論ということでしょうか?
私は恋愛の対象が異性ではなく同性なので、なんとなく気になりました。

Posted by: kk at January 10, 2005 01:24 AM

kkさん、どうもはじめまして。

非常に非常に難しい質問ですね。同姓を愛することをどう捉えるかの問題になってきますが、この恋愛論は基本的に(というか大部分は)同性愛にも通用すると考えています。「とりあえず究極の恋愛論」などはまさにそうです。

このブログで書いている恋愛論は、
「1.(主に進化論からの)科学的事実+2.社会学・哲学的思想+3.私の(幾分主観的な)考察」
で成り立っています。
このうち2と3は、同性異性両方の「他者を愛する」ということについて書いたつもりです。だから異性愛限定というわけではありません。

ただし1の進化論と同性愛の関係は、繊細で難しいと感じます。なぜなら進化論は「子孫を残す」ということを前提に組み立てられているからです。とはいえ、進化的に組み立てられた「愛する」メカニズムが、愛する対象によってそれほど異なっているとは思えません。このことについては後日微力ながら論じてみようと思っていますので、また読んで頂ければ幸いです。

なお、「あれ?」と思った箇所があれば具体的に指摘して頂けると嬉しいです。

コメントありがとうございました。

Posted by: Gen at January 10, 2005 05:46 AM

はじめまして!
いつも楽しく拝見してます。

>非論理的に行動することが進化的に適応的だったからこそ、そのように行動するようになったのだ。

この部分なんですが、「非論理的」って言葉が引っかかります。そう行動するのが適応的だったら、その時点で合理的・論理的になるのではないのですか?
「合理的」「論理的」って言葉の定義、つまり広さ・狭さや条件の問題のような気もしますが。本線から逸脱してる上に基本的な質問ですいません。

Posted by: cv at January 11, 2005 07:09 AM

cvさん、はじめまして。
ご指摘どうもありがとうございます。

そうですね。厳密に定義された語の意味で考えるならば、「非論理的」という言葉は不適切だったと思います。このエントリーを書き終え読み返したときに「まずいかな?」と思いつつも放置してあったのを、見事に指摘されてしまいました。

科学的に筋の通った説明ができると言うことは、cvさんご指摘のとおり、広義に「論理的」だということです。でもわたしたちは日常的な(狭義の)意味で感情を「論理的」だと考えていません。<合理的・論理的な行動vs本能に流された感情的な行動>という図式を描いています。そこを指摘したかったのです。

日常的な意味での「非論理性」が、進化という長い時間軸から捉えてみると、「論理性」に転換されるということでしょうね。

以前『闘争せよ!お金で「換えない」価値がある』で書いた「合理性の中の非合理性」ということとも関連してくると思います。

とりあえず、「一見」を付け加えて訂正しておきました。どうもありがとうございます。また何かあれば、忌憚なく書き込んで頂けると嬉しいです。

Posted by: Gen at January 11, 2005 07:44 AM

素早い、丁寧なお返事ありがとうございます。

なんとなく分かってはいたものの、スッキリしました。捉え方によっては合理でも、日常的には非合理にもなりうるというのは興味深いですね。そんなわけで「感情」の話も楽しみにしてます。

Posted by: cv at January 11, 2005 01:07 PM

ご丁寧な返答、ありがとうございました。

具体的に問うことが難しいのですが、がひっかかりなのかもしれません。淘汰されるはずのものが残った、といえばいいのでしょうか。少なくとも繁殖面から考えれば、非生産的ですよね。それをによって成立させているのが、(今私たちが生きている社会の中での)同性愛ということもいえるのかもしれないですね。
私は大学で社会学をかじった程度なのですが、そのときの同性愛の研究は権利主張や運動論が多くて、この「愛」について論じてるのが少なかったように思います。genさんの「恋愛論」は私も楽しめました。

他のエントリーも楽しみにしております。またおじゃまさせていただけたらと思います。

Posted by: kk at January 22, 2005 05:04 AM

申し訳ありません。
文章中にコピペをしたらなぜか文が抜けてしまって。

・具体的に問うことが難しいのですが、(主に進化論からの)科学的事実がひっかかりなのかもしれません。
・それを進化的に組み立てられた「愛する」メカニズムによって成立させているのが、

無駄に長くなってしまってごめんなさい。お恥ずかしい。

Posted by: kk at January 22, 2005 05:16 AM

kkさん、お返事ありがとうございます。

わたしの読解力不足もあり、いまいちポイントが掴めないのですが、
1.進化論の立場に立つと(繁殖としては後世に残らない)同性愛をうまく説明することができない。
2.したがって、進化論的「事実」(とされているもの)に違和感を抱いてしまう。「愛」と進化の関係は、同性愛のフェイズを入れると、どのようになるのか。

という疑問点で良いのでしょうか??


>私は大学で社会学をかじった程度なのですが、そのときの同性愛の研究は権利主張や運動論が多くて、この「愛」について論じてるのが少なかったように思います。

そうですねぇ。何よりもアクチュアルに同性愛者の権利が不当な立場に置かれているという現状があるために、権利論に研究資源が振り分けられているのではないでしょうか。

Posted by: Gen at January 24, 2005 03:56 AM
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