今後イラク人質事件をどう議論すべきか、整理してみる

 とりあえず議論の見通しを良くしておきます。まず、今日まで主に議論されていたのは、人質事件そのものをめぐって、自衛隊を撤退させるべきか否かという議論だった。だが現時点では、自衛隊を撤退させずに人質が解放される見通しが立った(参考)。とすれば、今後どのような形で議論がなされるのだろうか。

A.事件の真相と3人の行動、今回の政府の対応の是非をめぐる議論
3人が入国を試みた意図は?犯行グループの目的は?日本国政府は裏でどのような取引を行ったのか?3人の行動は批判されるべきなのか?政府は現実的に可能な手段の中から最善を尽くしたのか?もちろん3人と犯行グループが自作自演を行った可能性についての検証がメインになるだろう。自作自演説はUnmovableTypeさんが言うように「根拠が全くない」わけではない。multithreadさんによる詳細な検証、および犯行グループと3人の事前の接触疑惑(ソース)も問題となってくる。[その他自演説]

B.同様の事態を防ぐにはどうすればよいかをめぐる議論
この議論は「今回の事件とは関係なくとも、そもそも自衛隊をイラクに派遣する必要はあるのか」という議論に必ず行き着く。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」では意味がない。根本的な原因を考えなければ、次につながらない。今回の事件を教訓(きっかけ)として徹底的に議論を行うべきである。「自衛隊イラク派遣そのものの正当性を問う」必要がある。では、どのような議論が可能なのか。

B-1.自衛隊は撤退すべきでないという議論
「テロに屈してはならない」「日本が国際社会で果たすべき役割がある」「日米同盟を重視しないと安全保障が脅かされる」「イラクの復興支援は実際に必要だ」「撤退したらテロが生まれる土壌が野放しになる」「同様の事件を防ぐためには日本国が自国民の安全を確保することが必要。たとえば入国制限や強制退去命令など。どれがベストだろうか」

B-2.自衛隊は撤退すべきだという議論
「そもそも自衛隊を派遣したからこのような事件が起こった」「正当性のないイラク戦争を行った米軍に服従すべきではない」「憲法に反する」「日本国は、自衛隊派遣という形ではない支援が可能なはずだ」

Genxx.blog*の意見
 そもそもイラク戦争自体の正当性が疑問だから、米軍イラク駐留の正当性も疑問だ。自衛隊がその米軍の「後方支援」的役割を果たすのはおかしい。しかし、たとえイラク戦争自体が大義なき不当なものであったとしても、実際にイラクのインフラが破壊しつくされた現状では、復興支援が必要である。国際社会の一員として、日本にも果たすべき役割がある。それは「米軍を支援する」という現在の形ではなく、最も中立性に近い「国連軍として働く」という形でなされるべきだ。国連決議の結果駐留が決まったという方が、正当性があるし、イラクの人々にも受け入れられやすいだろう。日本は、国連が国際法にのっとり決議をまとめ実際に行動をおこすよう働きかけると同時に、国連軍による介入が行われるまでは、現地の邦人の安全確保に努めながら、現状の形で復興支援を行うべきである。

 また、B-1.の「日本の安全保障と日米同盟」をめぐる議論を徹底的に行わなければ、日本が主体的な政治を行うことは不可能である。いつまでも米国に追随するしかなくなる。したがって、自衛隊と憲法、安全保障をめぐる議論を、今こそ国民が関心を持ち徹底的に行うべきであると考える。この人質事件の「衝撃」を、議論のエネルギーに変えねばならない。

関連記事:イラクの死体を見続けるということ

その他興味深いもの:

*3人の行動が「自衛隊撤退」の可能性を逆説的に潰してしまった、という指摘
勝谷誠彦の××な日々(4月10日の上から2つ目の文章)
*イラク民間人の死傷者を集計するサイト(MarBlog.netさん)
*イラク邦人誘拐事件、議論の整理(霞ヶ関官僚日記
*アルジャジーラはどう報道する?(Good Newsさん)


Posted by gen at April 11, 2004 08:37 PM | TrackBack(0)
Comments

 ***→ へぇ〜 : [記事別Ranking]


最後のご意見の所、激しく同意です。
未だにアメリカに於いてイラク戦争の是非をアンケートすると大多数が「是」とのこと。民主主義国家に於いて、どのように政府が誘導していようと、大多数が「是」という限りに於いて、それが「正義」となってしまう。
いまアメリカではイラク戦争は正義になっているのです。
そして日本には日本独自の正義があってしかるべきだと思います。他国の正義を借用することは出来ないと思うのです。
それぞれの国家はそれぞれの国情をもっているわけですから。
ただ、Genさんがご指摘の通り、あるいは小泉がイラク戦争の支持を表明したときにも言ったことですが、「北朝鮮がコワイからおいそれアメリカ様のいうことに逆らうわけにはイカンのです。」という安保上の問題も依然あります。
国の安全保障を確保して尚かつ国民の総意(あるいは多数決的な大多数)を反映した国策を採るためには9条の問題がやはりあると私も思うのです。

Posted by: だいぢろ at April 12, 2004 10:49 PM

コメントありがとうございます。

>民主主義国家に於いて、どのように政府が誘導していようと、
>大多数が「是」という限りに於いて、それが「正義」となってしまう。
>いまアメリカではイラク戦争は正義になっているのです。
>そして日本には日本独自の正義があってしかるべきだと思います。
>他国の正義を借用することは出来ないと思うのです。
>それぞれの国家はそれぞれの国情をもっているわけですから。

これは非常に難しい問題だと思います。
<多数派=「正義」> <それぞれの「国家の論理」がある>
という民主主義の原則をつきつめていくと、今回の場合で言えば、
アメリカを全く批判できなくなってしまう。

もちろんアメリカ人の心情も痛いほど感じるんですが、
(ex.日本における北朝鮮)
今回のイラク侵攻を許すと、国際法無視、国連無視、強いものは何をやっても良い、
という野放図につながってしまうと思います。

だから、まず「ブッシュよアメリカよ、今回のイラク戦争は少しおかしいぞ」
ということを叫び続ける必要はあると感じます。
これをやらないと、「強けりゃ俺が正義だ、だから強さを追求すればよい」
という非常に危険な世界になるんじゃないでしょうか。
各国の国情と、その国情の上に築くべき秩序とのバランスをとらねばならないと考えます。

その上で、日本が自国の国情に基づいて外交を行うためには、
やはり憲法議論が必要なわけで、
ここまでたどり着かなかったならば、今回の事件は活かされないということになるのでしょう。

憲法議論、自国の安全保障(=外交信念)を確立した上で、
はじめて国際的な秩序についても考える余裕が出てくるはずです。

でも、実際に自分の憲法に対する考えを整理しようと試みると、
非常に難しくないですか?
考えがまとまらなくて、困ってしまいます‥

Posted by: Gen at April 13, 2004 09:34 AM

Genさんのご意見は私のそれよりもう一つ踏み込んだ意見だと思います。いちいち感心していました。
ただ、わたしが敢えて「」(括弧付き)で正義と書いたのは、つまり、到底正義とは思えない蛮行すら「正義」になっている現状は呪うべきで、それに追従するしかオプションを持てない我が国の現状を憂う、という話がしたかったのです。

>「強けりゃ俺が正義だ、だから強さを追求すればよい」

私もこういう「正義」はまったく正義だとは思いません。しかし、正義という概念は普遍的なものではなく、多分に歴史的・文化的・国情的に大きく左右されるものだと思います。そうであればこそ、我が国が我が国の正義を主張できない現状はあまりにももどかしく思います。そこで「他国の正義を借用することは出来ないと思うのです」と書きました。
イラク戦争について言えば国民の大半は支持していないのに政府は諾々として支持してしまう状況を呪っているのです。

>各国の国情と、その国情の上に築くべき秩序とのバランス

「完全なる世界」であればそのバランスが存在し得ると思うのですが、依然、先の大戦の戦勝国主導になっている国連の現状を見るにおいても遠い目標に思えてなりません。

9条の問題ですが;
国家には行使可能な戦力が必要なことは日本を取り巻く国際社会を見て、私はあまり疑問視していません。
世界第2位の経済大国である日本が自国の持てる力(軍事力という意味だけではありません)を行使したり行使可能にしたりすることにこれほど臆病になっているのも、あまり理解できないのです。

>憲法議論、自国の安全保障(=外交信念)を確立した上で、
>はじめて国際的な秩序についても考える余裕が出てくるはずです。

まったくその通りだと思います。

あ、それと「民主主義の原則」ですが、これはかなり複合的な問題をはらんでいると思います。マスコミなどによる世論の操作、選挙制度のひずみから生じる票の重さの格差などなどです。
しかし、人類がいまのところこれ以上のシステムを作り上げられなかったことを考えると、民主主義による国家の暴走は仕方がないのかもしれません。
だからといって、暴走している国家に追従する必要もないと思うのです。

長々と書きました。すみません。

でも、こういった議論が出来る私たちは幸せなんでしょうね。

Posted by: だいぢろ at April 14, 2004 11:40 PM

だいぢろさん、丁寧なお返事をどうもありがとうございます。

>私もこういう「正義」はまったく正義だとは思いません。
>しかし、正義という概念は普遍的なものではなく、
>多分に歴史的・文化的・国情的に大きく左右されるものだと思います。そうであればこそ、
>我が国が我が国の正義を主張できない現状はあまりにももどかしく思います。

これは本当にそう思います。
現状のまま、ただ理念的に小泉政権を批判するのは、愚かですよね。
世界情勢と公正さ(理念)の間でバランスを取った、日本国にとって考えうる限りの「正義」を具体的な外交政策に反映させるには、やらなければならないことがあります。
「将軍様が怖い」、だからアメリカ様は絶対、という現状をどうすれば打破できるのか。そこの議論から逃げてはなりません。

>「完全なる世界」であればそのバランスが存在し得ると思うのですが、
>依然、先の大戦の戦勝国主導になっている国連の現状を見るにおいても
>遠い目標に思えてなりません。

これも同意です。でも、「理念」を持ち続けることは大事だとも思います。「理念」を絶えず叫びながら、現実の情勢とのバランスを取っていく作業が必要でしょう。もちろん、その「理念」も決してニュートラルなものではありえず、「日本にとっての利益」を第一に考えながら「正義」にも配慮した政治的なものになるのでしょうが。今回でいえば、フランスのようなイメージでしょうか。

>世界第2位の経済大国である日本が自国の持てる力
>(軍事力という意味だけではありません)
>を行使したり行使可能にしたりすることにこれほど臆病になっているのも、
>あまり理解できないのです。

これはやはり、敗戦の影響が大きいのでしょうね。
負け戦による死体写真と長崎・広島を徹底的に叩き込まれてきたので、
とにかく戦争が怖いのです。
日本が然るべき軍事力を持つということは、
自分が徴兵されるということであり、撃つということであり、殺し殺される可能性の中に身を投じるということです。
自分が戦場に行く恐怖がすべてでしょう。だから、みんな「なあなあ」にやっている。
正直、自分も戦場に行きたくないというのが強いです。
だいぶろぐでのAyaさんのコメントは、非常に共感できます。

「自分が戦場に行かなくとも、日本が主体的な外交を行うことは、果たして可能なのか?」という議論を一度徹底させる必要があると思います。

>それと「民主主義の原則」ですが、これはかなり複合的な問題をはらんでいると思います。

本当にそうですね。
単純に理念を叫べば済む問題じゃない。
ところで、EUの試みは、今非常に興味を持って眺めているところです。
「国家」がどこまで解体されうるのか、という意味でです。

こちらこそ長々とすみません。
やはり現時点では、
「自分が戦場に行かなくとも、日本が主体的な外交を行うことは、果たして可能なのか?」
という議論と、憲法議論を、同時に行う必要があるんじゃないでしょうか。

Posted by: Gen at April 15, 2004 02:44 AM
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