久々の更新です。これからはペース戻してゆきます。どれぐらいの方がこのニュースを心に留めているでしょうか。先日、パレスチナの精神的指導者、イスラム原理主義ハマスの創始者ヤシン師がイスラエル軍によって殺害されました(関連リンク)。「中東全域にくすぶる反米感情の根っこに横たわるパレスチナ問題こそ、国際情勢不安定化の最大要因(前リンク先)」です。その意味で、このニュースは9.11事件に匹敵するニュースであり、まぎれもなく歴史的事件となるでしょう。せめて自分にできることとして、情報をまとめておきます。タイトルをクリックすると読みやすくなります。
1.歴史的背景、2.現代的背景、3.今後の展望と思うところにそって話をまとめていきます。今日は第一の歴史的背景について可能な限りまとめます。まず、イスラム教と(イスラエルの)ユダヤ教が歴史上長い間対立を繰り返してきた、という通説は大嘘です。これには注意する必要がある。
続きを読む...テロについて書いた文章に対するEP end-pointさんの応答への、再応答。感謝です。先程長々と書いてしまったので簡潔に。
人間は平和主義な生き物ではない。闘い好きな生物でもない。皮相な性善説性悪説二元論は卒業すべし。「本来」という語を使いたいのであれば、本来そこに意味はない。善悪しかり。勝ち負けしかり。続きを読む...
「テロ」論への補足、「環境保護」の欺瞞に対するEP end-pointさんの応答への、再応答。わざわざありがとうございます。まず返信が遅れてしまったことをお詫びします。
理由はどうあれ、実際のリスク解析も何も考慮しないで「地球のため」「自然のため」というキャッチフレーズを掲げる人間はみな欺瞞屋だと受け取られうる見方を出してしまうのは浅慮な気がする。続きを読む...
EP end-pointのAmasakiさんに、一昨日の「テロ絶滅はエイリアンに頼るしかない?」の中で用いた「弱肉強食」という俗説は科学的に妥当性が無いと指摘されました(EP end-pointとnew sphere!は進化と文化を考える上で極めて有意義なサイトで、かなりオススメ)。おそらく俺が血液型性格判断によって何かを論じられたら感じるの同じような意味で、違和感を覚えられたんだと思います。私日記に少々学問的フレーバーを加えたこのBlogの在り方も色々と考え直してしまいます。モラルとして。
続きを読む... 昨日はスペインで生じたテロ事件を日本の危機という観点からのみ扱いましたが、今日は思い切って、自分の「テロ」というものに対する価値観のスケッチを描いてみます。自分の「テロ」観はこれまであえて伏せてきました。それは、ひとえに自分の言葉がリアリティを持ち得ないと考えてきたから。つまり、すぐそこにある身近なものとしてテロを感じることの無い日本人である自分は、どうしても「対岸の火事」的に「テロ」を考えるしかない。発する言葉に、肉体的リアリティが、圧倒的に無い。だから、沈黙してきた。この後ろめたさの中であえて語ります。
人間ないし生物は基本的に争うものです。おのれの生存をかけて、戦う存在である。なぜなら、自然界は決して「平等」ではなく、弱肉強食の世界であるから。食われる恐怖に対抗するには、戦うしかない。抵抗しなければ、殺される。「万人の万人に対する闘争」が世界の真実の姿だとホッブスは語りましたが、この考え方に同意します。しかし、一人(一個体)で戦うよりは、集団を形成したほうが有利です。強くなる。だから、集団をどんどん拡大させてきた。人類が誕生した頃、ヒトという種は結束し、外的環境と戦ってきた。ヒトが増えてくると、今度はヒト同士が小集団を形成し、他の小集団と抗争した。同じような構造がその規模を増し、国家が誕生し、主権をめぐり争うようになった。
続きを読む... スペインの首都マドリードで列車同時爆破テロが起きた。死者は現時点で192人にのぼる。以前からテロ的行為を続けていた、スペインからの独立をもくろむ「バスク祖国と自由(ETA)」の犯行だと当初スペイン当局は考えた。しかし、英国のアラビア語紙「アルクドゥス・アルアラビ」は、アルカイダによる犯行声明が届けられたことを報じた。
あえて今日は問題を単純に論じよう。日本がアルカイダによって同様の攻撃を受ける可能性はどれくらいあるのか?日本で同様の事態が生じるとすれば、新宿池袋渋谷東京を同時爆破といったところだろうか。まず、日本が「比較的安全である」と考えられる根拠について。日本ではアラブ人ネットワークが弱く、テロに使用する爆薬等が入手しにくいこと、またアラブ人は日本では目立つため行動が監視されやすいことがあげられる。
続きを読む... 殺人は悪か?浮気は悪か?正直は善か?さまざまな問いが設定されて、人々はあれこれ考え議論する。でもこれらの問いに対する答えは、実は「ケースバイケース」でしかあり得ないと考えられる。頭の中には、もしヒトラーが暗殺されていたらユダヤ人虐殺はどうなっていただろう、映画タイタニックにおける「浮気」、人の精神状態を気にしない暴力的な言葉が浮かんでくる。つまり、一般的な命題を問うことなどそもそも不可能なのではないか。ある問いは、「〜に対してどうであるか、〜という状況においてはどうであるか」というように、状況限定的にしか発することができないのではないか。
こんな当たり前のことが、見過ごされやすい。問いを立ててあれこれ考えてみる。けれども、もし問い自体が間違っていたなら、そもそも答えは導きようがない。すべての思索は無意味となってしまう。問いを引き受けて考える以前に、その問い自体にこだわってそれが適切かどうか吟味すること。ここに多くの労力を割くことを、ないがしろにしてはいませんか?
インドを旅していた時のこと。インドで最も美しいとも言われる世界遺産、タージマハールに向けて、心躍らせながら歩を進めていた。タージマハールの入口へと続く道。ひたすら降り注ぐ太陽、道の両脇には「money?」と声を枯らしながらせがむ少年たち。集客を諦め遠くをぼうっと眺めている運転手、そして露天商に通行人を引きずり込もうとあれこれ画策する子供たち。
その子供たちは歩いている人間が日本人だと気づくやいなや、「コマネチ!」と繰り返す。右でも左でも、コマネチの大合唱。客を求めての必死な叫びとしてのコマネチが、何回も繰り返されるうちに、「遊び」の世界に取り込まれていって、叫んでるほうも叫ばれているほうもなんだか楽しくなってきて、みんなで笑い出してしまう。
笑いながら、彼らにこう指摘してみた。「コマネチは古いぜ?次のトレンドはアイーンだ」と。もちろんオーバーリアクションつきで。何回も笑い笑わせ繰り返して。そしてそんなことは忘れてタージマハールを楽しんだ。日陰で2時間ほど寝てしまい、世界遺産で昼寝なんて贅沢だなとか考えつつ帰途についた。夕暮れの涼しげな風を浴びながら歩いてゆく、そして、驚いた。なんとそこはアイーンの大合唱場となっていたのだ。アイーン、羽ばたく。爽快感に包まれながら最高に旨い一服。さて、今タージマハールへと続く道には、どんなユーモアが満ちているのだろう?いつかまた、確かめに行けたなら。
某知り合い筋によると、ベイスターズ山下監督の御子息は今年電通にコネ入社らしいです。ベイスターズ共々なんだかな。さて、本題。世界には自明のものがたくさんある。たとえば対称性もそのひとつです。中心線をまたいで、右と、左。同じ座標に同じものが位置しているならば、基本的に左右に違いはないと考えられている。
ところで面白い話を聞きました。広告業界に精通しているわけじゃないので真偽は不明だけれど、聞いたところによれば、どうやら車のCMを作る場合、たとえばスポーツカーなら画面(フレーム)の右側から進入させる、セダンなら左側から侵入させる、みたいなセオリーが存在するらしい。同じ角度で進入させても、左右で印象が違うという。
もしこれが事実ならば、安定している世界の自明性がとたんに揺らぐことになる。右と左の違いは、実は気づいていないだけで、多くのものを規定しているのかもしれない。そんな世界を考えてみたら?――対称性に関する哲学的・物理学的・美学的・業界的etc...な文献は読んだことがないけれども、論文テーマをこれに設定しようかと考えてしまう。つまり、「見え」がいかに実質的な思考や印象に影響を与えるか。昨日の罫線ノートの話とも共通するけれど、そんなことにも最近関心があります。
ここ最近ポータル構築ツールのXoopsや情報集積ツールのPukiwikiなんかをサーバーに入れて試して遊んでました。色々なネットツールを弄んで感じるのはやっぱ、技術が人の思考や表現の仕方を大きく規定しているということ。
このBlogだって、昔からサイトに訪れて下さった方はわかると思うけれども、Genの思考様式を大きく規定している。どこかからソースや商品や写真をひっぱってきて、それにコメントを付け加える。あるいは自分がBlog村の一員であることを自覚して、メタブログ的(ブログについて)話を書いてみたり。様式に染まった思考に行き詰って、更新が滞っています。初心に帰ろう。
面白い友達がいます。彼は講義を受けるとき、絶対に罫線つきの普通のノートを使わない。あくまで落書き帳みたいな、全くの白紙のメモを用いる。そこに書き殴る。「何でそんなもの使うんだ?」と聞いてみた、彼曰く、「罫線つきのノートは、罫線によって自分の考えが区切られ強制されるだろ?どの大きさで文字を書くか、どこに書くか、どんな順序で配置するか、それによってぜんぜん変わってくるんだよ?」。
続きを読む...ネットの世界にはよく「○○さんに聞く百の質問」への回答が溢れていて、言葉遊びだとか格好つけに少々げんなりしたりする。ところで今日、はてなアンテナを作ってみた。まるで百の質問に答えているような感覚。いや、それよりも深刻だ。自分のブックマークを知られるのって、自分の出口を知られるっていうか、自分の関心領域の範囲(限界=可能性)を知られるような気がして。それでも、登録したすべてのサイトの更新状況が一覧でわかるのはかなり有難い。最大の自己紹介として、公開しておきます。各カテゴリ別に、役立つリンクが色々あると思うので。
続きを読む... さて、申請してから1週間で東大後期攻略法がyahoo!のカテゴリ登録されることになりました。yahoo!への登録はかなり難関で、HP運営を始めたころはまさか自サイトが掲載されるなんて思わなかったので、爽快感が襲ってきます。Blog更新休んでサイト調整した甲斐があった。さて、およそ100〜200アクセス/日だったこの受験生用サイトはいったいどうなってしまうのか?興味深くyahoo!効果を見守りレポってみようと思う。あ、今夜からまたBlog書き始めます。でもこれだけじゃアレなので、ひとつネタを提供。旧オウム真理教のHPを発見。このBlogと同じMovableTypeで動いているみたいです。「相思相愛の恋愛がしてみたい」という問いかけに対し、教団の答えはこれ。薄っぺらいなぁ、内容が。つまらん。