人間は性善なのか、あるいは性悪なのか、かくも結論無き問題が長々と語られてきた。この問題を人間のnatureとして考え、科学の名を騙るならば、進化論から考察するのが妥当だろう。さて、あなたはどちらが正しいと考えていますか?
前回書いたように、感情が理性の根底に横たわっている。感情はこの世に意味を与え給う神である。では、生まれつき授けられた感情によって、人間は盲目的・自動的に導かれるのだろうか?ちょっと待った。「学習」と「推論」という極めて重要な問題がまだ残されている。それは「遺伝」の反対側に位置する、「環境」の問題でもある。いよいよ感情、学習、推論のしっぽりとした関係にガサ入れしていきます。
その前に一休憩。グラサンかけてないタモさんの画像はなぜか申し訳ない気持ちを喚起し、タモリ発言200選で時間を素敵に食い潰し、某英単語の意味がここ1ヶ月で変わったという記事に鼻を鳴らし、およそ百年前に撮影された写真に涙を流し、プーチンに背筋を凍らし(右上の写真をclick)、さてと行きますか。
続きを読む... Imagine. 想像してみて欲しい。感情無き世界を。あなたは生きるだろうか。死ぬだろうか。指さすだろうか。空を仰ぎ見るだろうか。何かに判断を下すだろうか。否、微動だにしないだろう。思考は停止するだろう。そこは「〜したいと欲する」ことが一切無き地平。点滴をつながれているならば、アメーバやロボットのように生きながらえるだろう。その時あなたはもしかしたら認知科学者に諸手を挙げて迎え入れられるのかもしれない。なぜならあなたは、純粋なコンピュータ的自動装置と化したのだから。
快・不快の感情は人間を動かす根本的なエネルギー源である。感情機構は、出来事という外的事象や空腹といった内的事象、つまり燃料を動力に変えるモーターだ。あなたが「人間」であるのは、感情を忍ばせているからなのだ。感情は意味の世界を創造する「神」なのかもしれない。
続きを読む... 友人のBlogで玉音放送の現代語訳を読み想いを新たにしたせわしない今宵、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。さて、感情の進化論。またの名を、「この世界」の科学論。根源的な哲学でもある。重要なテーマなのでシリーズ化してわかりやすく書きます。長いですが、マジで面白いですよ。(註:わたしは進化的機能主義の立場から書いています。異論のある方はコメント欄に遠慮なくどうぞ)
Blogをはじめておおよそ一年。過去に書いたものをチラ見してみました。まぁ大半は赤飯モノの恥ずかしい文章だわな。笑 というわけで、昔の文章を読んでくださる慈善精神あふれる方が変な場所に迷い込まないように、今まで沸々と書いてきたエントリーの中からオススメの自薦記事をコメント付きで紹介。「オマエのサイトは量が多すぎて読む気にならん」といってた某友人よ、ごめんな。
たまには雑談を。2年前、あの日をそれとなく想い出す。今年慶應の哲学科から毎日新聞に就職する小学校の同級生と、東海道線の普通列車を乗り継ぎ名古屋へ向かった。ぬるいビールの喉ごしと、浮ついた夢や少しばかりの諦念が混じった近況報告と、もはや昔のような距離には近づけない寂しさと、車窓から見える薄ぼけた赤色に染まる富士山を背に釣りを楽しむおっちゃん達の横顔が、感覚として残っている。
今日はタール1mgで軽めに。「37%ルール」を御存知だろうか。有名なのでもしデジャビュならスルーしてください。バイトで面接する店長、あるいは結婚紹介o-netの会場で真剣なまなざしが会場を舐め回して定まらないあなたは必見。懐かしの「ねるとん」とか。マジ懐かしー。佐竹とワンダフルの司会の女がカップルになったりしてましたよね。
明けましておめでとうございます。15万もの人々が地球と歴史に呑み込まれて幕を開けた2005年。言葉がないですね。とにかく今年も何卒宜しくお願い申し上げます。まぁ新年の抱負なんて小泉の答弁並みにロクなもんじゃないんですが、個人的には物腰の柔らかさを身につけたいと考えた元旦でした。
さて。クリスマス前に書いた「一番無駄なものが、一番ロマンティックである」にコメントを寄せてくださった方がいました。彼女の指摘が論点を炙り絵のように見せてくれます。どうもありがとうございました。伝えたかった点をあらためて強調しておきます。
驚嘆すべきなのは、「恋愛」こそ、合理的・科学的な意味でも遊びが残されている領域だということです。ふつう科学や(経済的)合理性の世界に芸術やジョークやウィットが入り込む余地はありません。
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